脚本家の小山内さん死去。「金八先生」は功罪半ば。 | 話のコレクション

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脚本家の小山内美江子さんが、今月2日に亡くなった。94歳。

小山内さんの代表作に、NHK大河ドラマの「徳川家康」「翔ぶが如く」がある。

彼女の作品で一番のヒット作と言えば、TBSの「3年B組金八先生」だ。

 

私は「金八先生」に関しては、良くないドラマだった、と今でも思っている。

 

どうしてか、と言うと、このドラマではツッパリ生徒、ヤンキーの類いを格好良く描いていた。

その為、悪い影響を与えられていた少年、少女が、1970年代、1980年代には、たくさんいたのだ。

 

「金八先生」を見て、ツッパリが格好いい者だと思い込む。

それで、学校に不満がないのに、教師を暴行する、校舎の窓ガラスを割る、悪質なイジメをするなんて生徒が、金八先生の放送時は、ずいぶんいたのだ。

 

ツッパリ生徒=家庭環境が悪いから、ぐれて問題を起す。

というようなイメージを、人は抱く。

 

しかし、私の青春時代は、家庭環境が悪いからツッパリ生徒、ヤンキーになった者は、ごくわずか。

 

多くのツッパリ生徒は、テレビ、漫画、映画の登場人物を真似てやっていた。「金八先生」を見て、ツッパリ生徒を格好いいと、子供が思い込む。

すると、その子はツッパリ生徒になり、悪ぶった言動を見せるようになる。

 

 

1980年代、私は東京都大田区の公立中学校へ入学した。

入学してから一週間後、下校の為、学校の裏門を出て、自宅の方向へ歩いていた。

すると、私を原付バイクに乗った者が、追い抜いて行った。

 

ふと見ると、バイクに乗っていたのは、うちの学校の生徒で、度肝を抜かれた。

原付バイクを運転する少年は、中学二年生になったばかりだ。

中二になってすぐじゃ、13歳か14歳。

無免許なのは、歴然としていた。免許が取得できる年齢に達していないからだ。

この少年は、小学校時代はいじめられっ子で、有名だった。

 

小学校時代のイジメが原因でぐれてしまい、無免許でバイクに乗って、登校するようになったらしい。

 

この中学校は、田舎の学校じゃないから、自転車通学すら禁止されている。

そんな中、彼は年がら年中、無免許で原付バイクに乗って登校していた。

登校すると、彼はバイクを、裏門の近くに置いておく。

下校の際は、またそれに跨がって、家へと帰ってゆく。

 

この男子生徒を見て、(この学校は、ダメな所だろうな)とぴんと来た。

あんなとんでもない事を、堂々とやっている生徒がいるぐらいだ。

他にも問題を起している奴らが、うようよいそうだった。

 

すると、案の定、入学から一ヶ月後、「番長が体育の教師をぶん殴った」という噂が校内に流れた。

 

殴られた男性教師は、U先生と言い、私は彼から体育を教えてもらっていた。

30歳ぐらいと若い先生で、悪い印象はなかった。

生徒に高圧的な態度をとるタイプではない。

だから私は、(番長が一方的に悪いはずだ。悪ーワルーのレッテルを高める為にしたのだろう)と推測した。

 

教師をぶん殴ると、他のツッパリ生徒達は、どう思うか?

(いくら俺等が突っ張ったところで、さすがに、教師を殴る度胸はない。そこへいくと、番長は殴って、凄いな)なんて、思うのではないか?

そしてさらに、番長を立てるようになるのでは?

 

番長は、それを狙い、教師を殴ったのでは?

 

すると、案の定、あの噂が出た直後から、番長の人気が一部の下級生の間で上がったのだ。

「教師を殴るなんて、俺たちの出来ない事をして、凄いな」と。

 

体育の先生が、番長に殴られた事を、校長に伝えたかは、不明だった。

これから半年後、番長率いる三年のツッパリグループが、「ツッパリグループの運営費」という名目で、一、二年生のツッパリ生徒から、金を集めて行った。

これは露見し、学校全体の問題になった。

 

※若い子は、番長を知らないかも?今の学校にはいないからだ。

ツッパリ生徒のリーダーを、番長と言ったのだ。

 

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当時は、高校にも悪い事で、有名な所があった。

 

私が15歳の頃、我が家に酒を配達していた19歳の男性がいた。

彼は、酒屋のアルバイトだった。

酒屋には、数年前からいるようだ。

 

この男性は、広い顔で眼鏡をかけていた。

真面目そうな顔で、実際、勤務ぶりは真面目である。教育評論家の尾木氏に似た容貌だった。

 

この男性は、高校へ通った形跡がなかった。これが、不思議であった。

当時は、コテコテのツッパリ少年、少女じゃなければ、高校へ進学するのが、当たり前だったからだ。

(この男性は、真面目な性格だし、頭も悪そうに見えない。にもかかわらず、なんで高校へ行かなかったのだろうか?)

 

すると、前の家の浪人生が、彼の事をこう教えてくれた。

「いや、彼は羽田高校へ入学したんだよ。ところが教科書を持っていると、ツッパリ生徒達に取られてしまい、校舎の裏で焼かれてしまうらしいんだ。そんな環境に絶望し、入学からたった一週間で退学してしまい、それからはああやって酒屋でバイトをしてるんだ」

 

浪人生は、酒屋のバイトさんとは、小学校で同級生だった。

だから、酒屋のバイトさんの過去がわかるのだ。

 

羽田高校

 

と聞いた私は、(ああ、あそこか・・・)と心の中でつぶやいた。

 

羽田高校は、当時、悪い事で有名だった。

偏差値が、大田区及びその近隣の区の高校の中で、最低である。

また、ツッパリ生徒、ヤンキーの巣窟になっていた。

 

私が、羽田高校の悪い評判を初めて聞いたのは、小学一年だか二年の頃だ。

それから、7年も8年もたつというのに、まだ「悪い」らしい。

 

当時、大田区の蒲田にある高校も、荒れていたという。

そんな蒲田の高校に通う生徒達ですら、「羽田へ行ったら、生きて帰れない」と冗談を言い合っていた、という。笑

 

「羽田の高校には、自分達より上手のヤンキー達がいて、絡まれたら大変な事になるぞ」という意味が、あの冗談にはある。

 

インターネットの大田区の掲示板には、今も羽田高校の事が、あれこれ書かれている。

悪い事で、もはや伝説と化した感がある。

あえて、校名をさらしたのは、匿名にしたところで、皆さんがネットで検索すれば、すぐどこかわかるから。

 

話が長くなってきたから、やめないと。

この記事で紹介した中学校や高校で、問題を起していた生徒達というのは、大抵、ヤンキー、ツッパリ生徒を、格好良く描いた漫画、ドラマ、映画に、影響を受けていた。

 

ああいうものに、マインドコントロールされ、悪ぶった行いをするのだ。

それで、性格の良い教師がぶん殴られたり、教科書を取られて焼かれ、高校退学に追い込まれる少年がいたり。

 

「金八先生を、昔、楽しんで見ていた」という人が、多くいる事だろう。

 

の反面、金八先生などに悪い影響を受けて、問題を起す奴が多く出た。こういうけしからん者のせいで、多くの教師、生徒が迷惑を被った事は、忘れるべきではない。

 

日本人は、死者に鞭打つ事を嫌う。

しかし、私はあえて、「小山内先生は、反省しながら虹の橋を渡って下さい」と記し、この記事を締めくくりたい。