アメリカ合衆国に、
ロバート・トッド・リンカーン(1843年ー1926年)
という男性がいた。
彼は、第16代大統領エイブラハム・リンカーンの長男であり、長じて政治家、弁護士、実業家になった。
エイブラハム・リンカーンの子供で、成人後も生きたのは、彼だけであった。
で、このロバート・トッド・リンカーンは、数奇な人生を送ったのだ。
1865年4月14日。
彼の父親エイブラハムは、劇場で狙撃された。
この時、彼は事件現場にはいなかった。
だが、ピーターセンハウスへ運ばれ、死の床にあった父親と対面した。
1881年7月2日。
彼は、ジェームス・A・ガーフィールド大統領の旅に同行する事になった。
それで、ワシントンD.C.のボルティモア・ポトマック鉄道の駅へ行った。
だが、ガーフィルド大統領は、チャールズ・J・ギトーに銃撃され亡くなった。
彼は、この暗殺事件の目撃者になった。
1901年9月6日。
彼はウィリアム・マッキンリー大統領から、ニューヨーク州バッファローで開催中のパン・アメリカン博覧会へ招待された。
博覧会の会場へ行ったら、マッキンリー大統領がレオン・チョルゴッシュに銃撃され、亡くなった。
こんな具合で、彼は暗殺された大統領(それも彼自身の父親)に対面したことが一度、大統領の暗殺現場にいたことが二度あるのだ。
銃撃事件の多いアメリカとはいえ、大統領の暗殺事件に三度も関わる、というのは稀だ。
■それから、彼自身にもこんな事があった。
1863年の暮れだか、1864年の初頭。
ニュージャージー州ジャージー・シティの駅に、彼はいた。
寝台車の購入の為、彼はプラットホームに立っていた。
すると、突然汽車が動き出してしまい、足場を失った。
彼は危うく、汽車の事故に遭うところだった。
しかし、この時、俳優のエドウィン・ブースが偶然いて、コートの襟を引っ張ってくれた。
この為、無事だったのだ。
ブースが引っ張ってくれなかったら、亡くなるか重傷を負ったという。
ところが、これから一年数ヶ月後、彼の父親エイブラハム・リンカーンは、俳優エドウィン・ブースの弟に暗殺されたのである。
そんなわけで、彼の命の恩人の弟は、「彼の父親の暗殺者」ということになってしまった。