平安時代の終わり頃、平家は栄華を極めた。
「平氏でなければ、人でない」
と、清盛の義弟・時忠が豪語した程だ。
だが、一家の大黒柱・清盛が亡くなると、急激に衰退してゆく。
木曽義仲の軍勢に追われ、都落ちした。
さらに一ノ谷の合戦、屋島の合戦で、源義経の奇襲攻撃を受け、敗北。
その後、遂に壇ノ浦に滅亡するのである。
壇ノ浦の合戦は、元暦2年/寿永4年3月24日(1185年4月25日)に、長門国(現在の山口県)の壇ノ浦で起きた。
この記事は過去書いたものだが、今日が3月24日なので、再更新した。
ところで「平家物語」を読むと、イルカが壇ノ浦の合戦で、占いに使われたのがわかる。
合戦の序盤は、平氏が源氏を圧倒していた。
平氏の集中矢戦法が功を奏し、源氏の総大将・義経もひるむ程であった。
戦いの半ば、イルカの大群が、源氏の軍船の方から平氏の軍船の方へ泳ぎ寄せた。
これを見た平氏の総大将・平宗盛(清盛の息子)は、陰陽師の安倍晴信を呼び、
「占ってみよ」
と命じた。
晴信が、
「この魚群が、源氏の方へ戻ってゆけば、源氏は滅びましょう。もし、このまま味方の軍船の下を通ってゆけば、味方は危のう御座います」
と言おうとした。
だが言い終わらぬうち、
イルカは、平氏の軍船の下を通ってゆく・・・。
晴信は、
「もはやこの世も終わりです」
と嘆いた。
すると戦いの形勢は逆転。平氏は劣勢になった。
そして平氏は敗北し、滅亡したのだった。
安倍晴信というのは、平家お抱えの陰陽師だったようだ。
彼は映画、テレビドラマで主人公になった安倍晴明と違い、有名ではない。
壇ノ浦の合戦までの占いの的中率は、どのくらいだったのか?
気になるところだが、それは不明である。
イルカ占いの話は、面白いのだが、源平もののNHK大河ドラマや映画に出てきたことはない。
脚本家が、勉強不足なのかもしれない。