「朝日のような夕日をつれて」…、あの舞台を思い出しただけでときめく。
鴻上尚史さんの戯曲「朝日のような夕日をつれて」21世紀版を読みました。

「朝日のような夕日をつれて」は、1981年に第三舞台の旗揚げ公演として作られた作品だそうです。
その後8度の再演をして、戯曲も書き換えられ、4度出版されているそうです。
これは、2014年バージョンの戯曲。
この物語は、S・ベケットという方の「ゴドーを待ちながら」という作品がもとになっているそうです。
ゴドーとは誰か、全くわからないまま二人の男がゴドーを待っている。
少年が出てきてゴドーは来られない…と言うけれど、2人はそれでも待ち続ける。
途中さらに2人の男が出てくるけれど、ただゴドーを待つ。
この、最初の2人は部長と社長。
さらに登場する2人は研究員とマーケッター。
そして少年。
「朝日のような夕日をつれて」の5人は、まさにゴドーを待ちながらの登場人物にリンクしている。
名前もちょっとかぶらせている。
ゴドーを待ちながら、他愛もない言葉のやりとりをする…というところも。
待つ、ということについて考えました。
思い起こせば、私は結構待つことが好きだった。
自分を待っている人を見るのも好きだった。
今、自分が待っているものはなんだろう?
劇中でも、マーケッター役の人が客席から現れて、お客さんに「あなたの待っているものは?」問いかけました。
その方は、「素敵な結末」…と、素敵な回答をしていましたが。
私はそのとき、「年金生活」…なんて、現実的で情けない回答を思い浮かべてしまった!
待っているものは…、仕事に追われることなく、読書ができる時間?
この戯曲は2014年バージョンだったから、玉置さんは少年役。
少年の玉置さんを思い浮かべながら読みました。
登場するゲームとか流行り物については、2024年バージョンの舞台では今のものにアレンジされていたから、読み比べるのも面白そう。
この戯曲の最初と最後、5人の役者さんに群唱されるせりふ。
朝日のような夕日をつれて 僕はたち続ける
つなぎあうこともなく 流れあうこともなく
きらめく恒星のように
立ち続けることは苦しいから
立ち続けることは楽しいから
朝日のような夕日をつれて ぼくはひとり
ひとりでは耐えられないから
ひとりでは何もできないから
ひとりであることを認めあうことは
たくさんの人と手をつなぐことだから
たくさんの人と手をつなぐことは
とても悲しいことだから
朝日のような夕日をつれて
星空の流星のように ぼくは ひとり
これが、とてもかっこよかった。
最初は5人で動きを加えながら。
最後は舞台の後ろがせり上がり、立ち上がりながら。
5人の声が響き渡る。
素敵でした。
今でも5人の表情が思い浮かびます。
DVDを予約したので、楽しみ。