複雑な気持ち。 | 素直な気持ち

素直な気持ち

最初の子を死産、2人目を望んでから流産、胞状奇胎を経験し、ようやく4人家族に…と思ったら、まさかの妊娠発覚で3人目を出産しました。気がつけば5人家族。歳の差姉弟、2歳差男の子育児、楽しんでいます。

約1年間の妊娠禁止。

そう宣言されてから、約3ヶ月。

結果は順調。


妊娠したくて頑張っていた頃に比べて、

夫婦にとって穏やかな時間が流れていて、

今までってなんだったんだろうなーって思ってしまう。

複雑な気持ちです。

娘が寝てしまって、旦那様が早く帰ってきた日は

二人でだらだらテレビ見たり、おしゃべりしたり。

まったりとすごしています。

平日もお休みの日も、娘を早く寝かせて…なんて

考えなくていい。

そろそろ排卵だから…と忙しい旦那様に無理させることもない。

精神的にとっても楽な日々。


たとえば神様がいて、

それぞれに社会での役割を与えられていたとする。

ある人は、会社を切り盛りして、経済を発展させること。

ある人は、子孫繁栄のために、子を産み育てること。

ある人は、医学的貢献、ある人は、おいしい料理を作ること…

私に与えられた役割は、子を産み育てることではないのかも。

そんな風に考えたことがあります。

子育てに人生の大半を費やすことは私の役割ではないのかも。

別にするべきことがあるのかも。

図らずも、今、1人の時間をもてたことによって、

自分自身の人生を生きているような気がするのです。

娘と過ごしながら、必ずしも私は子育てに向いてるとは思わない。

そう感じることが多々あります。

やりたいことがたくさんあるのに、妊娠すればハイリスク妊婦だから、

妊娠するのを待っていて、出産するまで待っていて、

子が乳離れするまで待っていて、

時間だけがどんどん過ぎていってるような、

それを不安に思ってる自分もいるのです。

そう、時間を無駄に過ごしているような気がして。

いつ妊娠できるかわからない。いつ出産までこぎつけるかわからない。

そんな中、いつまでこうやっていろんなことに我慢しながら

私は待ち続けなければいけないんだろう。

ある意味、そういった呪縛から一時だけ解放されたこの数ヶ月。

私は自分が自分に向き合って、積極的に生きてることに気がついたのです。

今までの私は、私じゃなかった気がする。


とはいっても、やっぱりこどもが欲しいなーって気持ちはあって

言葉は変だけど、早く挑戦したいと思う。

家族が増えることを夢見てる。

また妊娠しなくて、焦る気持ちを持ったり、

基礎体温に一喜一憂する日がくるんだろうけれど。

今の気持ちを、その時間の中でも、

十分に持ちつづけていられたら、それが一番いいかも知れない。


私にとって、今の時間を持つことが、必要だったのかもしれない。

乗り越える壁はまだまだ高いけれど。

よし、頑張るぞ、私。