幸せの記憶 悲しみの記憶 -56ページ目

1か月

そらがお空に帰って、今日でちょうど1か月。
あっという間だったような
長かったような。

普通に生活している自分が悲しい。
普通に生活している自分がとてもいやだ。

本当は悲しみにきちんと向き合いたいし
そらのことだけを想って毎日を過ごしたい。
でも
仕事をしているとそうも行かなくて。

それがいいのか
悪いのか。

そらとサヨナラしてから
初めて義母とわたしの両親に会った。
状況的に普通に
いや
いつもより明るくはしゃいでいたけど
本当はなんか 複雑だった

明るく笑って話していたり
でも唐突にナミダがでてきたり。

そんなに簡単に
なにもなかったようになんてできない。

悲しい。
つらい。

どうしたらいい?

小旅行


ママになりたい! ~2度の流産を越えて~


ふと、海が見たいと言ったら
ダンナさんが週末に江ノ島、鎌倉、横須賀に連れていってくれました。

金曜の夜に出発し
江ノ島で1泊。

翌朝は鎌倉の大仏様へ。
久々に拝見したご尊顔は
相変わらず気品高いお顔立ちでした。
大仏様の中にも入ってきました。

その後でっかいエビフライの昼食をとって
三崎港へ。
マグロいっぱいのお店を冷やかして、横須賀。
三笠という昔の軍艦を見て、一路自宅へ・・・と思いきや
帰りがけに健康ランドへ寄って大きなお風呂と岩盤浴を満喫。

充実したお休みでした。
ダンナさん、ありがとう。

まだまだココロが弱っているわたしは
たまたまネットで見つけたスピリチュアルカウンセラーへ
そらのことについて相談メールをしてしまい・・・
返って来た返事はものすごくあやしくて
ダンナさんに相談したら
「これおかしいよ」って。

家に戻ってネットで調べたら
やっぱり怪しい霊能者の方だったようです・・・

そらに関わることがだったら
なんでもしてあげたいし
なんでも知りたい・・・
そんなキモチが利用されるのは
きっとそらも喜ばないね・・・

ママ、しっかりしなくちゃね。

ぐるりのこと。

土曜日、ダンナさんと一緒に
「ぐるりのこと。」という映画を観に行った。
http://www.gururinokoto.jp/

良く笑うしっかり者の奥さん。
優しいけど頼りなさげなダンナさん。
ふたりは赤ちゃんがおなかに来たことを機に結婚。
日に日に大きくなっていくおなか。
胎動を感じてふたりで喜びをわかちあう
どこにでもいそうな 幸せなふたり。

でも赤ちゃんは亡くなってしまった。
自分を責める奥さん。
言葉少なに、でも見守るダンナさん。
壊れていく奥さん。
なによりも奥さんを想うダンナさん。
うつ病になる奥さん。
支えるダンナさん。

切れる奥さん。
宥めるダンナさん。
キモチをぶつける奥さん。
はじめてココロの内を見せるダンナさん。

打ち込むものを見つけ、日々前を向いていく奥さん。
それを暖かく見守るダンナさん。


まるで我が家を見てるようだった。
ナミダが止まらなかった。

わたしはまだ立ち直れない。
当分無理だろう。
泣くし、情緒不安定になるし
暴れるかもしれない。

でも
わたしのダンナさんは
きっとそれを見守ってくれる。
手を差し延べてくれる。
受け止めてくれる。

今まで
子どもを失くしたことは
自分だけの問題で
自分だけの責任だと思っていた。

でも
ふたりで受け止めて
ふたりで乗り越えていくものではないかと
最近思えるようになった。

本当の自分と本当の気持ち

そらが天国に召されて1週間以上。
わたしは普通に生かされています。

仕事にも行ってます。
なにごともなかったかのように
職場の仲間やお客さんとくだらないことを言い合って
笑っています。

ダンナさんと離婚寸前の大喧嘩もしたけれど
今は普通に生活しています。

まるでなにもなかったかのように。

「そら」のことを知らない人の方が多いし
知っている人たちだって
生きた子どもを亡くした親と同じようには
わたしのことなんか気にしてくれません。

「おいしいものでも食べてゲンキだしてさ」
とか
「まだ若いんだからまた子どもできるよ」
とか
「よくあること。自然淘汰だよ」
とか。

アンタたち
自分のことじゃないから
好き勝手言えるよね。

次の子どもじゃなくて
あたしはそらに会いたかったのだと。
そらを産みたかったんだよって。

誰もわかってはくれません。

術後検診に行って
おなかの大きな幸せそうな妊婦を見たとき
全員子どもが死ねばいいと思いました。

街中で幸せそうに歩いている赤ちゃん連れを見たとき
みんな死ねばいいと思いました。

そうダンナさんに言ったら窘められました。
でも本当の自分の本当の気持ちは
今はみんな死ねばいいと思う。
そらが聞いたら悲しむと言われたけれど
わたしは良い人にはなれません。
偽善者にもなれません。

今日はひとりで家にいます。
ダンナさんは仕事です。
さっきテレビでドリカムの美和ちゃんを見ました。
彼女も大事な人を亡くしました。
でも
生きている彼との思い出があっていいな。

わたしもそらに会いたかった。
そらと10週間しかいられなかった。
もっとたくさん思い出が欲しかった。
産んであげたかったし、抱っこしたかった。

ダンナさんには申し訳ないけど
でもきっと
ダンナさんをもし仮に亡くしたとしても
子どもを失ったほうが悲しみが大きいような気がします。

今日はドリカム聴きながら
そらを想って寝ます。

そら、いつかママが天国に行けたときは
ママを見つけて
抱っこさせてね。
大好きだよ、そら



「And I Love You」

「遅くなるよ」の電話は
もう来ないけれど
長い旅にでも出たと
思っています

何日も会えないことも
多かったから
わたしたちきっと ね
大丈夫だよね

これまでは
ふたりで乗り越えた
いろんなこと
たとえばまさに「今」
みたいなことを

これからはひとりで
乗り越えていかなきゃ
それがほんとはいちばん
心細い

この歌を人前で
歌うことは
ないだろうけど
私情をみんなに聞かれて
申し訳ないけど

いつかあなたのところへ
わたしが行く時
しわしわでもぜったいに
すぐ見つけてよ

ありがとうって言えるまで
どこかで見ててね

ありがとうって
言ってるからから
どこかで見ててね

やり場のない気持ち

そらがおなかに来たときから思っていた。

37歳だし、産むときは38歳だし
高齢出産だし。
ちゃんと子どもは生まれてくるのだろうか?
流産は?障害は?大丈夫だろうか?

浮かれすぎたらいけないと思ってた。
浮かれすぎて、もし万が一のことがあったら
ものすごく落ち込むだろうなぁって。

浮かれたいキモチを精一杯セーブしていた。
妊娠したことは最小限の人にしか告げず
告げるときは相手がたとえ家族であっても
「高齢出産だし、この先ちゃんと育つかどうかもまだわからないから」って
なんかヘンな枕詞をつけて報告していた。

だけど本当はものすごく嬉しかったし
ものすごく大事だったし
ものすごく大切に大切に生活していた。

高齢出産のサイトを回って
いろいろな可能性や注意することなんかを
貪り読んでいた。

初めての検診で胎嚢は確認できていたから
次は心拍音。
心拍音が確認されたら、95%流産の可能性はない。
だから、そらの心臓がゲンキよく動いているのを確認できたときは
天にも昇るような嬉しさだった。

あとは大事に大事にしていこうって。
妊婦に良いとされるサプリを買ったり
食べるものにも少し気をつけてみたり。

だけどそらの心臓は止まってしまった。

そもそも妊婦全体の15%が流産するって書いてあったけど
心拍音が確認されたら95%流産しないって書いてあったじゃん。

なんでそらが
なんであたしが
そんな少数派に選ばれなくちゃいけないの?

中絶なら自分の意志で自分の責任だ。
じゃあ流産は?
ダンナさんやお医者さんは
「もともと子どもが弱かったんだ。仕方ない」って言うけど
じゃあそらのせいなの?
そらにはなんの罪もないよ。

じゃあなんでこうなったの?
物事には全て理由があるんじゃないの?
誰か納得できるようにあたしに説明してよ。
納得できなければ現実を受け入れられないよ。

どうして どうして どうして
うちの子が連れて行かれるの?

どうして どうして どうして
わたしがこんなに悲しい想いをしなければいけないの?

何も悪いことしてないのに。
毎日真面目に一生懸命生きているのに。
これはなんの罰なんだろう・・・