やり場のない気持ち | 幸せの記憶 悲しみの記憶

やり場のない気持ち

そらがおなかに来たときから思っていた。

37歳だし、産むときは38歳だし
高齢出産だし。
ちゃんと子どもは生まれてくるのだろうか?
流産は?障害は?大丈夫だろうか?

浮かれすぎたらいけないと思ってた。
浮かれすぎて、もし万が一のことがあったら
ものすごく落ち込むだろうなぁって。

浮かれたいキモチを精一杯セーブしていた。
妊娠したことは最小限の人にしか告げず
告げるときは相手がたとえ家族であっても
「高齢出産だし、この先ちゃんと育つかどうかもまだわからないから」って
なんかヘンな枕詞をつけて報告していた。

だけど本当はものすごく嬉しかったし
ものすごく大事だったし
ものすごく大切に大切に生活していた。

高齢出産のサイトを回って
いろいろな可能性や注意することなんかを
貪り読んでいた。

初めての検診で胎嚢は確認できていたから
次は心拍音。
心拍音が確認されたら、95%流産の可能性はない。
だから、そらの心臓がゲンキよく動いているのを確認できたときは
天にも昇るような嬉しさだった。

あとは大事に大事にしていこうって。
妊婦に良いとされるサプリを買ったり
食べるものにも少し気をつけてみたり。

だけどそらの心臓は止まってしまった。

そもそも妊婦全体の15%が流産するって書いてあったけど
心拍音が確認されたら95%流産しないって書いてあったじゃん。

なんでそらが
なんであたしが
そんな少数派に選ばれなくちゃいけないの?

中絶なら自分の意志で自分の責任だ。
じゃあ流産は?
ダンナさんやお医者さんは
「もともと子どもが弱かったんだ。仕方ない」って言うけど
じゃあそらのせいなの?
そらにはなんの罪もないよ。

じゃあなんでこうなったの?
物事には全て理由があるんじゃないの?
誰か納得できるようにあたしに説明してよ。
納得できなければ現実を受け入れられないよ。

どうして どうして どうして
うちの子が連れて行かれるの?

どうして どうして どうして
わたしがこんなに悲しい想いをしなければいけないの?

何も悪いことしてないのに。
毎日真面目に一生懸命生きているのに。
これはなんの罰なんだろう・・・