笑顔の暮らしから広がる愛と幸せの輪 -4ページ目

笑顔の暮らしから広がる愛と幸せの輪

離婚、子連れ再婚、そして今新しい1ページが始まる

結婚と離婚、どっちが重いと思う? ブログネタ:結婚と離婚、どっちが重いと思う? 参加中

私は離婚 派!



どちらが重いかって、言わずと知れてますが「離婚」です。



もしかして、お互いに「私たち、もうだめね。」「そうだな、別れよう。」

「うん。」なんて簡単に合意できたとしたら、

離婚もそれほど重くないのかもしれませんが・・・



そんな離婚って、そうそうないですよね(笑)






離婚調停や、離婚裁判があるのは、簡単に離婚できないからだと

思います。



当事者同士で、円満に解決できないからこそ、そういうシステムが

あるんですよね。






私が離婚を経験して思ったのは、離婚って最後はお金なんだなってことです。



まぁ、私の場合は、協議離婚ではなかったからですけど。






かつては愛し合って結婚したはずが、別れのときは、養育費をどうする、

慰謝料をどうする、財産分与をどうすると、

お金、お金でした。



本来なら、結婚を誓った相手ですから、自分の味方でもあり、

生涯を連れ添う相手でもあったわけです。



それが、まるで天敵を見るかのように敵対視し合う・・・






それは、精神的に、とてもきついものです。



気持ちがささくれ立ってくるのですよね・・・



そのせいで、ごく普通の日常生活すらまともに送れないほどの

精神的ダメージを受けました。






結婚も、たしかに、家族を持つことの重みと責任はあります。

でも、それは、前向きな明るい未来へ向けての重みです。






全てをクリアにする、離婚とは全く違います。






色んな面から考えても、やはり、離婚の方が圧倒的に重いです。



もう、二度としたくありません(笑)









毎日の生活の中で、会話ってとても重要だと思う。



前の結婚生活で、最後の方は家庭内別居をしていた。

当然、別々の部屋だからほとんど会話がない。



子供のことや家のことなどで用事があるときだけ、話しかけるのみ。






もちろん子供はいるから、子供との会話はある。

でも、子供は子供。

大人の話し相手にはならない。



長女は中学生だったから、ある程度は話もできたし、

愚痴を聞いてもらうこともあったけれど、

それとて、やはり限界がある。



私が飢えていたのは、大人との会話だった。






そんな私が、それを求める手段として利用していたのがチャットだった。



現実の生活で、他県の男女を問わず、同じような年齢の人と

話をすることはあり得ないこと。



それが、チャットだとどんなに遠い場所の人でも会話ができてしまう。






毎晩、子供たちが寝静まった後、パソコンの画面に向かって

チャットをした。



とは言え、実際、ちゃんとした会話ができる相手には滅多に出逢わない。



だからこそ、たまに話せる人と出逢えるととても嬉しかった。



その日にあった出来事や、過去の話、趣味や趣向の話など、

他愛のない話に花を咲かせることが、私にとっての楽しみな時間だった。






今は、チャットはしなくなった。

彼がいるから。



私たちは、いつも話している。



彼が仕事の行き帰りの車の中で(イヤフォンを使って)話すし、

お昼休みにも電話をくれるし、帰って来たらお互いにパソコンに向かいつつ

話をする。






話題は多岐にわたり、話題にできないことは何もない。



その時に、思ったことをそのまま口に出し、それに対して

彼が自分の考えや感想を伝えてくれる。

それを聞いて、更に、私が感じたこと、思ったことを言う。



まさに、会話だ。






下二人はまだまだ、「ママ、ママ。」という年齢なので、

私の話を聞いて!

とばかりに話しかけてくる(笑)



話したいという欲求、聞いてほしいという欲求を素直に表すのだ。






そういう欲求は、幼い子供だけなのかと思えば、こんな年齢の大人になっても

健在らしい(笑)



「ねえねえ、あのさ・・・。」

と話しかけられる人がいる幸せ。



「そうか。それはそうだよな。」

と相槌をうってもらえる幸せ。






高校生になって、反抗期に突入した長女も、普段はほとんど

話をしなくなったけれど、たまに機嫌がいいときなどに、

学校の話などをしてくてることがある。



ごく普通に聞いて、返事をしながらも、内心、実はすごく嬉しかったりする(笑)



やはりね、娘とだって話したいのが親心。

特に同性の子供だから、ガールズトークじゃないけれど、

わかり合える部分が欲しいわけ。






きっと、会話って、人と人がわかり合うための大切な手段。



会話のあるところに、すれ違いは起きにくいだろうし、

距離を縮めてくれるんだと思う。






彼とも、子供とも、これから先も話せる関係を持てるようにしていきたいな。



幼い次女、三女が反抗期に入ったときでも、たまに会話して

にんまりしたいと思う。













私は昔から、家が好き。

実家で暮らしていた頃、自分が子供の立場のときは特別好きでは

なかったけれど、結婚して、自分の家となったとき(それがたとえ社宅でも)

家にいることがとても居心地がいいと思う。



私の親友は、働いていないと落ち着かないという。

家にいても、することがないと。



その言葉のとおり、彼女は結婚してもずっと働いている。

一つの仕事を辞めても、いくらもしないうちに次の仕事を探してくる。






私はというと、家にいても苦痛ではないし、むしろ楽しいのだ。

料理も好きだし、インテリアを考えることも好きだし、

掃除や整理整頓も好き。



いつでも完璧ではない。

やる気がなければ、散らかった部屋のときもあるし、手抜きの食事のときもある。



それでも、気持ちがのっているときは、色々と工夫してみる。

料理の盛り付け、お弁当の詰め方、インテリアの工夫、

突如として徹底的にあちこちを磨いてみたり、部屋の模様替えをしたり。






そして、そういうことの一つ一つを極めていくのも楽しく感じる。



ただ、お弁当を作って詰める、冷食をチンして詰めるのではなく、

同じ作るなら、ふたをあけたときにわぁ~~と歓声を上げるような、

見るからに食欲のわくようなものを作りたいと思う。



狭いとか、古いとか、そんなことは関係なく、居心地のいい家を

作る工夫をしてみるのも好き。

家具の配置や、ちょっとした工夫、手をかけることで

実現する。






でも、家にいることが好きということの前提には、

「愛する家族」の存在が不可欠。



大好きな家族がいるからこそ、そのためにも居心地のいい家を、

美味しい料理を、行き届いた家事をと思えるのであって、

そうでなければ、気力も湧いてこない。






家が大好きな私が、家にいるのが苦痛でしかないときがあった。



それは、本当に苦しかった。



本来なら、居心地がいい、自分を最大限に発揮できるはずの場所が、

苦痛の源になっていたのだから。






今、この世の中のどこかに、その当時の私のような気持ちで

毎日を過ごしている人もいるのではないか・・・

そんな風に思ったりもする。




もしもそうなら、その人に言ってあげたい。

そこから抜け出せることは、必ずできるんだよと。

私がそうだったから。






今の私は、家にいることがとても心地よい。

朝起きても、昼でも、寝るときでも、いつでもどんな瞬間でも、

優しい気持ちでいられる。




それは、当たり前ではなく、得難いことなのかもしれない。




だから、毎日を感謝の気持ちで過ごしていきたいと思う。