今年はガブリエル・フォーレ(1845―1924)の没後100年にあたる記念の年だとか。いまのところ巷では特に盛り上がっている様子もありませんが、表題の音盤が「記念盤」と銘打って出ているのを見つけて数ヶ月前に購入。これに興味を持った連れ合いが、たまの週末に1枚、また1枚とプレーヤーにかけているのを亭主も聞き流しているうちに、この週末になって4枚組最後の1枚がかかり、いつの間にか全ピアノ作品を聴き終わっていました。

フォーレ:ピアノ独奏曲全集

 

亭主にとって、フォーレとはすなわち「青春の音楽」。学生時代にまずジェラール・スゼーによる「優しい歌」をはじめとした歌曲、あるいはエラートから出ていたヴァイオリンソナタやピアノを含む室内楽、そして舟唄や夜想曲といったピアノ曲にどハマりし、彼の作品のほぼ全てをLPやCDで集めて聴き入っていたものでした。ピアノ独奏曲について言えば、ジャン・ユボーやジャン=フィリップ・コラールの独奏曲集が手元に残っています。

 

彼の作品の中でも特に有名で人気も高いものとしては、比較的若い頃に作曲されたもの(例えばヴァイオリンソナタ第1番など)が目立ちますが、これは彼の作風が生涯にわたって大きく変化し、前半ではメンデルスゾーンのような明朗快活さを持つロマン派的作風だったものが、後半生、特に晩年には調性音楽からの離脱を感じさせるような作品が多くなっていることにもよると思われます。

 

亭主はもちろん前半の明るい作風の作品も好きですが、後半の調性を超越して宝石のオパールのような複雑な響きをもつ作品も前者に劣らず好みで、ピアノトリオや弦楽四重奏といった彼の最晩年の作品もよく聴いていました。多少脚色(あるいは美化)して言うならば、こういった作品はある種の若者が抱く「存在論的な不安」を代弁し、あるいは慰撫するものだったのかも?

 

当時の恥ずかしくも懐かしい思い出のひとつは、大学院の初め(まだ余裕があった?)の頃、同じ学科の先輩諸氏に誘われて音楽好きによる小さな演奏会に参加した際に、当時ハマって練習していた夜想曲第13番(Op.119、フォーレのピアノ曲としては最後の作品)を演奏したことです。アガリ症の亭主は例によって緊張し、曲が一番盛り上がる中間部に差し掛かる手前で演奏が止まってしまいパニック状態に。気を取り直して一応最後まで引き終えたものの、大いに気落ちしたものでした。

 

爾来、青春時代が過ぎ去るとともにフォーレの音楽からも遠ざかること幾星霜。ところが、ドゥバルグの演奏が聞こえてくるや、水底を揺さぶられて沸き立つ沈殿物のように当時の記憶が蘇ってきます。(ああ…)

 

ところで件の音盤の演奏者、ルカ・ドゥバルグ(1990―)といえば、少し前(2019年)にドメニコ・スカルラッティのソナタ52曲を4枚に納めたCDを聴いて以来、かなりキャラの立ったフランスの若手演奏家として亭主も一目置いているピアニストです。(このブログでも紹介

 

ライナーノートによると、彼のフォーレとの最初の出会いは2010年、当時通っていたピアノのレッスンでのことで、待ち時間で前の生徒がレッスンを受けていた舟唄第1番を聴いて、そのメランコリーと洗練された和声に衝撃を受けたとか。

とはいえ、その後もピアノ四重奏のピアノパートといった例外を除いてフォーレ作品を自ら演奏会で取り上げることはなかったそうです。ところが2020年のコロナ禍で演奏活動ができなくなり、「目で音楽を追う」という従来の楽しみに存分に時間を使えるようになって「発見」したのが「9つの前奏曲」(作品103)。これで彼はフォーレの晩年に書かれたピアノ作品にどっぷりハマるようになり、ついには彼の作品をジャンル別にではなく「作曲年代順に」録音する、というプロジェクトに発展したとのこと。

 

さらに、このプロジェクトを実現する上でもう一つの大きな推進力となったのが、スティーブ・ポレロによる新しいピアノ「Opus 102」との出会いです。このピアノ、何と平行弦で奥行きが3メートル、しかも鍵盤数102鍵というユニークなもの。(平行弦ピアノといえば、ダニエル・バレンボイムがシエナの音楽院に保存されていたフランツ・リストの時代のピアノに触発されて、スタインウェイをベースに特注で作らせたモデルを思い起こします。)ドゥバルグは2015年にパリのフィルハーモニアホールに導入されたこのピアノに初めて出会い、その後ブルゴーニュにあるポレロの工房に何度も訪問するなどしてこの楽器に親しむうちに、このピアノこそはフォーレの音楽にふさわしいと確信するようになったとのこと。

 

実際、この録音を(聴くともなく)聞いていると、その音色は最近やはり録音で聴く機会があったプレイエルやエラールといったピリオド楽器にも似て、少し滲んだような、あるいはどこか遠くから響いてくるような響きを持っています。

 

そのような「Opus 102」から紡ぎ出されるフォーレの響きは、亭主を青春時代のほろ苦くも甘美な記憶へと誘い、思い出をさらに美化することに一役買ってくれているようでした。