デ・キリコ展 | 未音亭日乗

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古楽ファンの勝手気ままなモノローグ。

先週末土曜日の午前中、アマオケの演奏会に先だって足を運んだのが東京都美術館で開催中の表記展覧会でした。

 

 

「デキリコ?」「誰?」、ということで、もしかするとあまり馴染みがない方もいらっしゃるかも。かくいう亭主も、彼の作品で多少とも馴染みがあったのは、大昔(中学校時代?)に美術の教科書に出てきた「通りの神秘と憂鬱」という絵ぐらいです。

 

画中に描かれた真昼の強い光を浴びた長いアーケードや、それと強いコントラストを作る反対側の建物の暗い影、さらにはフラフープのような輪を回しながら走っていく少女とその向こうに見えるもう一つの人物の黒い影、といったものが、どこにでもありそうな風景にもかかわらず現実離れした世界のようにも思われ、何とも不思議な印象を持った覚えがあります。(ちなみに、この作品は個人蔵とのことで、今回の展示には含まれていません。)

 

 

ジョルジョ・デ・キリコ(1888-1978)は前世紀に活躍したイタリアの画家で、上記の作品を描いた当時(1914年)は、第一次世界大戦とともに19世紀の「古きよきヨーロッパ」が崩壊に向かい、絵画の世界でもキュビスムをはじめとして様々な革新運動が始まった時代にあたります。自らが「形而上絵画」と名付けたデ・キリコの作品は、後から見るとそのような運動の先駆けとみなされるもので、後に続くサルバドール・ダリやルネ・マグリッド、マックス・エルンストといった画家たちによるシュールレアリズム(超現実主義)とともに流行を牽引する役を果たしたようです。

 

一方で、今回の回顧展で亭主が初めて知ったことには、デ・キリコが自身の作風・スタイルを何度も変えていたようです。最初期のミュンヘン時代には象徴主義の画家アルノルド・ベックリン風の絵を描いており、1910年代にイタリアに戻ったところで形而上絵画に目覚め、1920年代前半にかけてシュールレアリズムの一翼を担います。ところがその後、第二次世界大戦期にかけて、今度はルネッサンス期やバロック期の絵画スタイルを模倣するようになります。(テンペラ画まで試みています。)ただし、こういった懐古的な画風は観衆のウケが悪かったとのことで、戦後はふたたび以前の「形而上絵画」に戻り、亡くなるまでその手の作品を描き続けたとのこと。

 

今回の展覧会では、出展作品がこのようなスタイル別に並べられており、そのように整理されることでスタイル毎の特徴はよく分かります。が、結果として形而上絵画を集めたコーナーでは彼の若い頃の作品と第二次大戦後のそれが混ぜこぜになってしまい、その生涯にわたる作風や技法の変化を展示からは辿りにくいのがやや難点。ですが、とにかく彼の作品をこれだけまとめて眺めたのは初めてで、そこからこの画家について色々なことを考える機会になりました。

 

まず第一の印象として、デ・キリコの作品は絵画技法の観点から見ると決して上手いとは言えず、いわゆる「ヘタウマ」の系譜に連なる画家だろうと思われます。(彼が詩人ギョーム・アポリネールから高く評価された、と伝えられるのを知ると、同じく彼から評価された「元祖ヘタウマ」のアンリ・ルソーのことを思い浮かべます。)

 

実際、彼の絵画技量があまり高くないことは、ルネッサンス期やバロック期の絵画スタイルを模倣した「ネオ・バロック」期の作品群(今回かなりの数が展示されていた)を見ればすぐにわかることで、亭主から見るとこれらの作品は(失礼ながら)画学生の習作といったレベルを超えてはいないのではないかという印象です。(これらが同時代の観衆にウケなかったという事実も、ある意味でそれを裏付けているように見えます。)

 

ちなみに、同じシュールレアリズムの画家でもデ・キリコとは全く対照的なのがダリで、素人の亭主が見ても彼の絵画技量は超絶的です。やはり「現実を超える」(=超現実主義)ためには、まず現実を精緻に描き切る高い技量が必須だろうと想像されます。

 

デ・キリコの形而上絵画では直線や単純な曲線、あるいは三角定規やマヌカンといった幾何学的で抽象的な図象の組み合わせが多用されており、具象物の精緻なデッサン能力を必ずしも要しないもので構成されています。その結果、絵の上手さよりは描かれた対象の新奇さで観衆にアピールできたようにも見えます。

 

 

ただし、これもこの展覧会から受けた強い印象ですが、第二次大戦後に再びこのスタイルに戻って以降に描かれた作品はどれもあまり生気がなく、まるで塗り絵のような平板な感じです。表現の内容も紋切り型に堕する傾向が垣間見え、技法的にもどちらかというと漫画(カルトーン)やポップアートに近いと言えるかも。(これなら日本のタイガー立石の方がイケている、と感じることもしばしばでした。)

 

さて、ここからは例によって亭主の想像(妄想)ですが、デ・キリコという画家にとっての創造力のピークは初期の形而上絵画時代です。ところが、それが大いに人気を博したことで自分が大画家になったとカン違いしてしまった結果(?)、バロック以前の大画家たちのマネをする(本人的にはその伝統に連なろうとした?)など、道を誤ってしまったのではないか。

 

また、彼がティツィアーノやラファエロといったルネッサンス期の大画家、さらにはルーベンスやヴァトーといったバロック絵画に心酔した当時のイタリアは、ちょうどムッソリーニのファシスト党による国粋主義が席巻していた時代です。音楽界でヴィヴァルディがイタリアの文化的優越の象徴として称揚されたように、美術界ではイタリア・ルネッサンス期の大画家が同様に扱われていたと想像され、デ・キリコもこれに乗って政治的な旗振り役を担っていたのではないか、とも疑われます。

 

そして戦後、デ・キリコは自身の成功体験の核にある形而上絵画をいわば「ブランド」としてアートビジネスに邁進し、その結果として似たような絵を量産する商業主義に堕してしまったのではないか。

 

近現代の商業クリエーターにとって、個性的な作風をブランドとして確立することはとても重要です。一方で、それが創造力による革新を伴わないと、過去の栄光にあぐらをかいて陳腐化するという大きな陥穽が口を開けて待っています。

 

デ・キリコは果たしてそのような陥穽から逃れることができたと言えるのか。興味がある方はこの展覧会でご自身の答えを探してみてはいかがでしょうか。