古楽の終焉 by ブルース・ヘインズ | 未音亭日乗

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古楽ファンの勝手気ままなモノローグ。

表題の書、今年4月にアルテスパブリッシング社から出た新刊です。亭主も最近になってアマゾン経由で手に入れたところで、まだ最初の数十ページぐらいを読んだだけですが、超々面白いのでちょっと先走ってネタバラシをしたくなりました。

 

古楽の終焉 HIP〈歴史的知識にもとづく演奏〉とはなにか (Booksウト)

 

日本語版の副題に、「HIP<歴史的知識にもとづく演奏>とはなにか」とあるように、本書は現在「古楽」と呼ばれる音楽活動の基底を成すHistorically Informed Performanceという考え方(音楽思想と言ってもよい)を正面から論じたものです。(このHIPという略語、英語に慣れた方なら「トレンディな」という形容詞=hipを思い浮かべるハズ。1960-70年代に米国西海岸で流行した反伝統的な若者文化=hippieもこれに由来します。)

 

古楽が広く実践されつつある今日では、HIPはそれ自体で自立した考え方に見えますが、そうなるまでの過程で対抗する相手だったのは、当然のことながら「クラシック音楽」。なので、HIP(あるいはこれに基づいた古楽の演奏)が、単にクラシック音楽のアンチテーゼとしてだけの思想であったならば、クラシック音楽が衰退しつつある(?)近年では「古楽」そのものも下火になってきてもおかしくありません。ところが、亭主の見るところでは、状況は真逆です。HIPはますます勢いを得ており、最近ではストラヴィンスキーの作品をHIPする、ということまで普通に行われるようになっています。

 

つまるところ、亭主どもが漠然と考えていた「HIP=古楽」という等式は、HIPそのものをあまりに狭く捉え過ぎていたことによる誤った認識で、実はHIPとはあらゆる音楽に対して当てはまる考え方(実践哲学)だったというわけです。

 

では、古楽におけるHIPに対応して、いわゆるクラシック音楽の世界を支配している音楽思想は何か。その中心にあるのが「現代中心主義(クロノセントリズム)」となります。これはある種の進歩主義的思考で、音楽の上でも「現代」こそが最も重要である、なぜなら現代の音楽活動は過去の歴史的遺産をすべて包含しながら進歩した結果(つまり「伝統」がある)であり、従って常に最高の到達点にあるからである、という風な考え方です。皮肉なことに、HIPから眺めると、クラシック音楽はこの進歩に囚われるが故に、過去は「劣ったもの」として忘却され、実際には歴史からも切り離されてしまう(=HIPでない)、といわけです。

 

というわけで、ここで究極のネタバラシをしてしまうと、ヘインズ先生のお題の趣旨は、「古楽を舞台としたHIP運動の時代は終わった。これからは全ての時代の音楽がHIPの対象だ!」という風に要約できるでしょう。言い換えると、「クラシック音楽」に対抗する意味での「古」楽(「Early」 Music)という呼び方(概念)を使うのは、もうお終いにしようではないか、というわけです。

 

ちなみに、本書の「序」はHIPのマニフェストともいうべき内容になっており、亭主はこの部分を読んだだけで目から鱗が落ちる思いをするとともに、これまでのモヤモヤが綺麗に吹き飛ばされました。(アルテスパブリッシングのホームページに行くと、その一部を試し読みができます。)

 

重要なポイントの一つは、ここでも進歩ではなく進化。各時代の音楽は、それぞれの時代の環境に最適化されるよう進化した姿であり、当時の環境を知ること(=歴史的知識)によってその時代の音楽の姿もより明確になる、というわけです。

 

ついでに、今日辿り着いた58ページの終わりにあった部分を引用しておきましょう。 

 クロノセントリズムのひとつの特徴は、通常それを自覚していないことである。ホセ・ボーエンは演奏手順を話言葉の訛りと比較している。自分の訛りは、当然ながら自分では聞き取りにくい。「私たちは[スコアの解釈が]多くの条件に左右され、おびただしい伝統的習慣に従っていると頭では認識している。自分が独特のアクセントで他者に話していいるのも知っている。だが私たちの耳には、自分の話し方や演奏の仕方が自然で、訛っているのは他の全員であるように聞こえるのだ」。…(中略)…ここではリディア・ゲーアの『空想美術館』からの啓発的な一節を引いておくにとどめよう。「過去の音楽を現在にもってきて、時を超えた領域に収めるひとつの方法は、その音楽からオリジナルの、ローカルな、音楽以外の意味をはぎ取ることだった。そうした関係をことごとく断ち切ってしまえば、それを無機能の音楽と見なすことができる。あとは新たな美学にふさわしい音楽的意味を与えるだけでよかった。」これを読んで思い浮かぶのは、今日の音楽分析の標準的なアプローチのことで、それは『新グローヴ音楽事典』第二版の63ページにわたる「分析」の項目の第一行に明記されている。「分析……外的要因よりも音楽そのものを起点とした音楽研究の一分野」。2001年に発行された音楽事典のこの見解は、背景に時代を超越した絶対音楽というロマン派の美しい概念なくしてはありえなかった。HIPはその概念を暗黙のうちに拒絶している。

この一節を読みながら、亭主はクラシック音楽の業界人(マスメディアや音楽評論家も含む)に垣間見える、ある種の自賛的な無自覚さの由来が実に素直に納得できるとともに、そろそろ目を覚ました方がよいのではないかと(他所ごとながら)心配になりました。