この記事は、シリーズ記事です。

 

わが家の不登校克服物語(1)

わが家の不登校克服物語(2)

わが家の不登校克服物語(3)

わが家の不登校克服物語(4)

 

恩師、古田先生のいない学級は

本当にぽっかり穴が空いたようになりました。

 

 

子どもたちの笑顔も

心なしか、カラ元気。

 

 

その春には4年生になる予定でしたが

毎日日々変わる時間にお迎えに行くのも大変でした。

 

 

学童に入ってもらいたかったんだけど

広島では、3年までしか入れない。

 

 

地元大阪では、6年まで学童に入れると知り

広島を去り、大阪に戻ることにしました。

 

 

広島最後の日

大好きな東照宮の山頂から広島を見下ろしたな~

 

大阪では、障害児教育に手厚いと

評判の市に引越ししました

 

 

でもこの学校がまた

子どもに無関心な教師が多く

学童にしか、まともに通えませんでした。

 

 

この頃、自営業とWワークで

国立大学の障がい学生支援コーディネーターをしていました。

 

 

障がいのある子の対応について、業務上知識もありました。

市教委の連携カウンセラーに相談。

学校にかけあってくれましたがそれでも

あまりにひどい学校対応に、2人であきれる日々でした。

 

 

そんなころ、元夫の再婚が決まり

養育費を打ち切りたいと申し出がありました。

結局、今も払ってくれていますが

 

 

当時住んでいた家はかなり家賃は

サロンを兼ねていたので16万超と高く

家賃を抑えられる家に引越し、転校することにしました。

 

 

前の学校のように、

ちゃんと見てくれる先生のいる学校を

と探し始めたのです。

 

 

引越し先候補のエリアの学校に電話をし

見学させてほしいというと、電話に出た人は

かなりの時間、黙ってしまいました。

 

 

「・・・迷惑でしたら、別の学校にします」

とあきらめて言ったところ

 

 

「あ、すみません。そういうつもりじゃないんです。

ぜひ、来てください。いつがいいですか?」

というので、行ってみると

 

 

学年の先生全員、教科のみ教える先生

支援級、養護の先生、加配の先生、校長

教頭、事務員さんまで勢ぞろいで

会議室に集まっていました。

 

 

電話での長い沈黙の理由が

この時、分かりました。

 

 

先生方を勢ぞろいさせるには

学校側のスケジュールを調整しないといけなかったはず。

そのために少し考える時間が必要だったのでしょう。

 

 

「ぼくが濱田くんを担任します。

責任持って預かりますので、安心してください」

と言った教師は、まだ若い男の先生でした。

 

 

その日、様々なことを伝え、話し合い

支援級に在籍していれば、普通学級で学ぶときに

加配の先生がつくので大丈夫だし

全科目普通級で受けてもいいとのこと。

 

 

不安はありましたが

あまりにどの先生も好意的に見えたので

任せてみることにしたんですね。

 

 

この担任の先生は、この時8年目。

翌年からは、別の学校に行くはずでした。

 

 

でも、預かったからには卒業まで

濱田くんを見ると校長に直談判。

校長もそれを市教委に伝え

本当に卒業まで担任をしてくれました。

 

 

この学校でも色んなことはありましたが

毎度熱心に対応してくれました。

 

 

通常障がいのある子は、親の送迎が必須なのに

「一人登下校に挑戦しましょう」

と迎えに来てくれて、その距離を少しずつ先で待つ

というのをくり返し、一人でできるまで根気よく対応してくれました。

 

 

学校の勉強ができると分かったのも

ちょうど、この頃からです。

 

 

元々この学校は

遅刻児童や、不登校児童も多かったそうです。

 

 

その対策として

学校全体で工夫をこらしていたんですね。

 

 

校長も、時間があれば校区を自転車でパトロール。

どの学年の教師も、子ども一人一人の

顔と名前を覚えていて、声をかけていました。

 

 

障がいのある子だからではなく

すべての子どもに丁寧な指導していました。

 

 

先生同士の縦横のつながりも

とても信頼関係が強く

子どもも親たちも、安心できる環境でした。

 

 

後に中学2校に通ったので

全7校を経験して思うのは

 

 

うちの子が安心して通えた学校には、

共通点がある、ということでした。

 

 

それは学校の先生たちの丁寧な接し方。

転校時に、打ち合わせをする際も

先生方がずらっと並んだ3校は、どこもすごく良かったんです。

 

 

一方、「家が決まってない状態では見学はお断り」

という学校もあったし

一人、二人しか顔を出さない学校は対応がものすごく冷たく

実際話の通じない対応の悪い学校ばかりでした。

 

 

このような対応の違いを見てきて思うのが

不登校になるのは親のせいだけではない、ということ。

 

 

もちろん、親の状態によって子どもの不安をあおり

学校に行かないことで、

親子の関係性を持ちなおそうとする子もいます。

 

 

でも学校を変えることで通える子は

それだけではない、と確信したのです。

 

 

つづく