息子は小学2年の5月から

小学3年の3月まで不登校で

学校に行けませんでした。

 

 

きっかけは

小学1年の12月に転校したこと。

 

 

それまでは

保育園から一緒に育った子たちが

たくさんいる小学校の特別支援学級に通い

 

 

学童にも通わせ

それなりに楽しく過ごしていました。

 

 

わが家は子どもが年長さの時、離婚。

住んでいた家を売却した関係で

引越すことになりました。

 

 

そこで、せっかくだから

障がい児教育で評判のいいモデル校に

通わせようと、引越したんですね。

 

 

その頃ちょうど

「健常の子と一緒に学ぶことで、より成長する」

という趣旨のもと、ある先生がボランティアで

普通学級で学べるように親たちの

相談を受けたり、シェアしたりする会に参加していました。

 

 

その影響もあったし、評判がいいだけに

特別支援学級がパンク状態になっていたので

新しい学校では、普通学級に転校したのです。

 

 

すると、そこの担任がひどかった叫び

障がいがあることや、問題、課題を伝え

他の生徒にも、説明してほしいと言ったのに、言わない。

 

 

その結果、息子は

「変な子」と認識され

女子のいじめの標的になりました。

 

 

毎朝、ひどい下痢をするので

どうしたんだろう?と思って聞いても

何も言わない。

 

 

ある日、ノートを見たら

それはまあ、ひどいことを殴り書きされていました。

 

 

陰湿にいじめられていた。

 

 

それを発見して、心が凍りそうだった。

 

 

子どもはおとなしく、変わっているけど

人に危害を加えたり、叫んだり

いわゆる授業の妨害行為も一切しないタイプ。

 

 

なんで、よその子に「死ね」と言われ

ひどいことされないといけないんだろう?

と腹立たしくもありました。

 

 

その日から、わたしの判断で

休ませることにしたのがきっかけです。

 

 

休んでいいよ。

こういうことあったら、言わないとダメだよ。

 

 

と、息子に話した時、ホッした顔を見せ

それからは下痢はピタリと止まりました。

 

 

↓不登校を始めたころ

 

このことで、何度も学校側と話し合っても

何ら、らちが明きませんでした。

 

 

加害児童の一人の親だけ

謝罪の電話があったのだけど

他の子の親は、一切なかった。

 

 

不登校が続いたせいか、市教育委員会に

呼ばれ、話をしましたが、学校側に指導はなし。

 

 

元夫に校長に会ってもらったけど

全く、何の対処をする気もなければ

学校側は一切の謝罪はありませんでした。

 

 

特別支援教育のモデル校なんですよね?

って思ったパンチ!

 

 

不登校相談ができる、大学のカウンセリングにも

母子で通ったけど、学生ボラなので

「不登校は親のせい」という態度であふれている。

(というか、そういう風に学校で学ぶんですね)

 

 

そこで、もうその学校をあきらめて、引越しをし

別の学校に通わせることにしたんです。

 

 

そこでは特別支援学級にしました。

普通学級に入れるのは、もう恐怖でしかなかった。

 

 

それでも息子は、怖くて制服が着れない。

ランドセルを背負うこともできませんでした。

 

 

そこでわたしは

「学校に通わせること」より「子どもの心のケアが先」

と思い、不登校生活を継続させることにしたんです。

 

 

つづく。