川村元気による同名ベストセラー恋愛小説を、佐藤健、長澤まさみ、森七菜の共演で映画化したラブストーリー。
精神科医の藤代俊のもとに、かつての恋人である伊予田春から手紙が届く。「天空の鏡」と呼ばれるボリビアのウユニ塩湖から出されたその手紙には、10年前の初恋の記憶がつづられていた。その後も春は、プラハやアイスランドなど世界各地から手紙を送ってくる。その一方で藤代は現在の恋人・坂本弥生との結婚の準備を進めていたが、ある日突然、弥生は姿を消してしまう。春はなぜ手紙を送ってきたのか、そして弥生はどこへ消えたのか、ふたつの謎はやがてつながっていく。
米津玄師「Lemon」など数々のミュージックビデオの演出を手がけてきた山田智和が長編映画初監督、そして「写真」がテーマであることから、絵は本当に綺麗です。
音楽との親和性も美しい。
突然失踪してしまった婚約者・弥生の姿を探し求める。時を同じくして受け取った初恋の人・春からの手紙に、秘めていた痛い思い出がよみがえってくる。
こんなに「人の気持ちに興味なさそう」というか、感情の起伏のない人が、精神科医で大丈夫なのかな?とは思いました。
人との距離感に悩む患者さんが多いから、ガツガツ踏み込んで行くのは問題だろうし、かつ患者の感情に影響されすぎると、自分自身も病んでしまうから、一定の距離とテンションを保てる先生の方が良いかもしれませんが…。
ただ、彼の存在から「人を慈しむ、寄り添う」温かさはあまり伝わってきませんでした。
動物園に勤めている獣医。
愛しあっていたはずの藤代を残し、姿を消す。
「愛を終わらせない方法、それはなんでしょう」、失踪前に彼女が残したという謎かけの答えとは?
どこか完璧主義なところがある女性のようです。
以前の結婚を、挙式当日にドタキャンしてしまった過去を持ち、患者として藤代と出会いました。
そのことが、どこか引け目になっているのかもしれません。
自己肯定感が薄いから、藤代との関係に満たされず不安が募るのでしょうか。
そういう自分を断ち切るために、失踪してある場所に向かったのだと思います。
●伊予田春(森七菜)
大学時代、写真部の先輩後輩として出会った藤代のかつての恋人。
とある事情を抱え、写真を撮りながら、世界中を旅しています。
10年ぶりにウユニ塩湖から藤代に手紙を送ってきました。
藤代と春の恋の思い出は、瑞々しく躍動的でした。
二人で世界旅行をしようと計画したのですが、春の父親の反対で頓挫。
藤代はそれ以来、どこか心を閉ざしてしまったのかもしれません。
父親役は竹野内豊さん。
妻を亡くし、男手1つで育てた大事な娘、ということですが、かなり娘に依存してる様子。
どこかちょっと近親相姦的な危うさも感じられました。
淡々と静かに進んでいく、いかにも邦画のテイスト。
感情をむき出しにしたりしない藤代俊と坂本弥生。
心の中は喜怒哀楽に震えているかもしれないけれど、それは決して表情にも言葉にも表れない。
一歩踏み出すことによって相手を傷つけることを、そして自分が傷つくことを最も恐れている。
藤代は、弥生と同棲生活を経て結婚式の日取りも決まったことで、どこか「一安心」というような感情を抱いていたように思います。
「釣った魚にエサはやらない」ほど露骨ではありませんが、男性は「結婚はゴール」という方向に進みがちではないでしょうか。
対して女性は、男性のその感情を敏感に受け取ることによって「マリッジブルー」の状態に陥るのだと思います。
「もうここで終わり」「この先、愛は冷めていくだけ」という不安に駆られてしまうのかも。
お互いに遠慮があって、見えない薄い膜を通して触れあっているような二人なら、なおさら。
弥生にとっては、二人が同棲する記念に買ったワイングラスを割ってしまったのに、それを彼がさっさと片付けたことで、スイッチが入ったのだと思いました。
「愛を終わらせない方法、それはなんでしょう」の問いに対して、弥生の答えは「手に入れないこと」でした。
それでも
恋とはなにか
愛とはなにか
俊との時間の中で、何を手に入れて何を失ったのか
その答えを確かめるべく、全てを振り切って春の元に向かいます。
藤代 俊を愛したと言い切れる、そして彼に対して愛を送り続けた女性の元へ。
彼女を通して、藤代 俊の本当の姿を感じたかったのかもしれません。
どんなに激しく愛し合っていても、その感情を何十年も維持することはできません。
一緒に暮らせば、自然と嫌なところも目に付くし、お互い生活感にまみれていってしまいます。
それでも「愛を終わらせない方法」は、愛し続けることしかないでしょう。
そして愛は時と共に様々に形を変えていくことも受け入れて。
エンディングで流れる藤井風さんの「満ちてゆく」
MVは全く違う世界観で描かれていますが素敵です。
「愛されるために愛すのは悲劇」という歌詞が印象的