ワース 命の値段 | akaneの鑑賞記録

akaneの鑑賞記録

歌舞伎や演劇、映画、TVドラマなど鑑賞作品の覚書

 

 

 

マイケル・キートン主演で、アメリカ同時多発テロ被害者の補償金分配を束ねた弁護士の実話を映画化した社会派ドラマ。

2001年9月11日に起こったアメリカ同時多発テロを受け、米政府は被害者と遺族救済を目的とした補償基金プログラムを立ち上げる。その特別管理人を任された弁護士のケン・ファインバーグは独自の計算式により、個々人の補償金額を算出する方針を打ち出すが、被害者遺族が抱えるさまざまな事情と、彼らの喪失感や悲しみに接する中で、いくつもの矛盾にぶち当たる。チームが掲げる対象者約7000人の80%の賛同を得る目標に向けた作業が停滞する一方で、プログラム反対派の活動が勢いづいていく。期限が迫る中、苦境に立たされたファインバーグはある大きな決断を下す。

 

 

 

 



米同時多発テロの発生からそれほど時間が経ってない頃の実話です。
様々な人種、職業からなる多くの犠牲者たち。
訴訟王国のアメリカに於いて、個々に訴えられては航空会社が立ち行かなくなります。
広大なアメリカでは飛行機は不可欠であり、経済的な大打撃も避けられません。
そもそもテロ事件であり一企業が責任を持つ規模の問題ではなく、政府は被害者と遺族救済のため、補償基金プログラムを立ち上げることにしました。

 

とても言葉悪く言うと「政府が補償金を出すから、黙っておけ」ということです。

人の命に値段を付ける仕事

どの弁護士も尻込みするなか、手を挙げたのが、ファインバーグでした。
しかも事務所一丸となって無償で引き受けると。



しかしこの膨大な被害者たちの状況をどうやって把握すれば良いのか…

 

 

 


彼はさっそく事務所内のスタッフたちと、被害者の年収、年齢、遺族の構成…など数多くの項目を設定、補償金額を算出するプログラムを作成し、説明会に臨みます。

 

 

基金は非課税であり、すぐに貰えます。

それに引き換え、基金を受け取らずに提訴しても、必ず受け取れるものではなく、仮に受け取れたとしても、何年先になるか分かりません。
遺族にとって、これはベストの選択であるとファインバーグは確信しており、彼の説明や資料も大変明確でしたが、お世辞にもその言葉は遺族の心に寄り添ったものではありませんでした。


まだ傷が癒えず気持ちの整理のつかない中で基金説明会に足を運んだ人々。

永遠に失ってしまった自分の大切な人に対して、値段や計算式を突きつけられた胸中はいかに複雑で痛ましいものだったでしょう。



遺族の1人、チャールズ・ウルフ(スタンリー・トゥッチ)は、長年連れ添った妻を亡くし、説明会に参加していました。
彼は、このシステムの欠点などを指摘し、自身でも反対派としての説明会を開いて、遺族との繋がりを深めていきます。

 

 


弁護士事務所では遺族との面談が始まり、スタッフたちはその対応に追われますが、1人1人との面談を重ねるうち、その心の痛みや喪失感を強烈に受け止めることになります。

 

 

 


ファインバーグは面談には参加せず、実務的なシステムのことや、政財界の人間とのミーティングが主な仕事です。
富裕層は当然、自分たちに有利になるような提案を可決させようと圧力をかけてきます。

 


基金に賛同して申し込む人数は伸び悩み、目標の達成が危ぶまれ、また多くの遺族の話に触れたスタッフたちは、無機的なシステムに違和感を覚えはじめます。

 

 

 

 


ある日、スタッフが全員帰ってしまった時間に、遺族の1人が事務所を訪れ、ファインバーグが対応しました。

 

 

初めて生の声をきき、遺族の心情に触れたファインバーグに少しずつ変化が表れます。

 


対立していたウルフとも、目指しているところは同じ。
お互いに理解し合い、協力するようになります。


 

 

 

 

 

 

 


ケン・ファインバーグは、調停および裁判外紛争解決を専門とするアメリカの弁護士。(こちらご本人)

 

 

 

 

上院議員の首席補佐官を勤めるなどいわゆる官僚系の弁護士で、難しい訴訟をいくつも手掛け、解決してきました。

 


9/11の7000人の死者に値段をつける汚れ役を無償で買ってでた弁護士の実話

 


というキャッチコピーですが、おそらく彼には「巧くやってのける」自信みたいなものがあったかもしれません。
もちろん、弁護士としての社会的使命感で引き受けたのでしょうけれど、「心から遺族に寄り添った申し出」ではなかったような、これで結果を出せば…という野心があったようにも思いました。

 


そのあたりの、ちょっとした上から目線の雰囲気が、とても良く表現されていました。
ほとんどが会議や面談ですから、大きな盛り上がりはありませんが、その会話部分の脚本、そして日本語字幕への翻訳がとても的確で、なおかつファインバーグを演じたマイケル・キートンの演技力が素晴らしかったです。

 


同じ話をしていても、話し方や言葉の選び方、表情によって、全く異なる印象を与えるものです。
エリート特有の無神経で気に触る人間に映りかねない役柄を、ファインバーグの難しい立場を踏まえつつ、徐々に変わっていく心境を見事に表現していました。

 

 

 


彼と理性的に対峙するチャールズ・ウルフ(スタンリー・トゥッチ)の存在感も素晴らしかったですし、

 

 

 

 

その他の登場人物もみな、節度を持った大人の演技というのかな、そういうのが心地よかったです。






そして何より心を打たれたのは、遺族たちとの会話シーンです。
ささやかだけれど1人1人にかけがえのない人生があったことを思い知らされます。




こんなつらい状況において、すべての人々を納得させる方法など存在しません。
どんなに手を尽くしても、亡くなった人はもう戻ってこないのですから。
それでも、相手が真剣に向き合ってくれて、悲しみや痛みを少しでも分かち合ってくれたら、心の重荷を下ろすこともできるでしょう。
どんな計算式よりも、人に寄り添い誠実に向き合うことこそが大切だと、この映画は改めて教えてくれます。
 

 

 


こういう映画の感想としてよく、「人の命に値段など付けられない」と言われますが、保険とはそういう仕事ですし、個人レベルでも交通事故や企業との問題など、私たちの身近にも存在しています。


遺族たちも、心の底では、年収や立場が違えば貰える金額が異なるのは仕方ないと理解しつつも、自分たちの話にも耳を傾け、誠意を見せて欲しかったのだと思います。
しかしファインバーグは、遺族たちの気持ちを理解せず、「基金を受け取る事が最良」という考えに囚われ、人の意見に耳を傾けようとしませんでした。


でも彼が素晴らしかったのは、「誠意」の大切さに気付き、ちゃんと自分の言動を修正して基金のシステムも見直したことです。



被害者に寄り添う内容に方向転換するなんて、日本ではまず考えられないですよね。

もう決まったことだから
前例がない


そんな言葉で押し切られ、もみ消され、上の者が決めた方針は変わらないでしょう。



この基金は2001年から2003年にかけて運営され、計5560人に 公的資金から70億ドル超が支払われました。
さらに2011年と2019年に再開および延長が決定、長期の健康被害に苦しむ人々の救済を続けています。



こういう映画はかなり美化されていることは承知の上で、でもやはり、どこか根底に「正義」という精神が息づいているアメリカの底力を感じます。