アマデウス | akaneの鑑賞記録

akaneの鑑賞記録

歌舞伎や演劇、映画、TVドラマなど鑑賞作品の覚書

 

音楽史上、永遠の謎とされるモーツァルトの死─。その死から32年が経過した1823年晩秋のウィーン。宮廷楽長のサリエリは、自らがモーツァルトを暗殺したと衝撃的な告白を始める……。 時代は遡り、1781年。皇帝の寵愛を受け、音楽家としてこれ以上ない地位と名声を得ていたサリエーリは、ウィーンにやってきた若きモーツァルトと出会う。フィアンセのコンスタンツェと卑猥な言葉を口走り、行儀が悪く、子供っぽい青年モーツァルト。しかし、彼の奏でるセレナーデは素晴らしく、天衣無縫をそのまま具象化したようなその楽譜の中にサリエーリは、“絶対の美”─“神の声”を見出す。幼い頃、神に一生を捧げると誓ったサリエーリ。ところがその神の仕打ちは残酷だった。

彼は日常から芸術を作り、私は伝説から凡作を作った。

サリエーリは慄然とし、十分な地位と名声を得ていながら天才モーツァルトを恐れ、彼を追い詰めることで自分に才能を与えなかった神に戦いを挑む

非常に上質でオーソドックスな演劇でした。
セットはビロードの幕が開け閉めできる額縁のような枠と背景がいくつか。
上部にはシャンデリア、上手にハープシコード。
あとは椅子やテーブルを入れ替えるだけ、のミニマムでありながら充分に役割を果たしており上品な舞台。
衣装は豪華でしたね。モーツァルトは何着着替えるの?!ってぐらい。
映画はかなり前に見ましたが、その元となる演劇が先に作られていたとは知りませんでした。
地位はあっても凡庸なサリエリが、超絶な天才モーツァルトと出会ってしまったことによる悲劇。
神はなんと残酷なことか。
「名もなき人々を私はゆるそう」
サリエリの言葉が心に突き刺さります。

幸四郎さんとして最後の公演。
もう450回も公演を重ねているとは知りませんでした。
ラ・マンチャの男にしても、本当に偉業ですね。
私はようやく2015年にラ・マンチャの公演を見まして、今回のアマデウスも初見です。
死を目前にした老人サリエリのモノローグのシーンから、ローブを脱ぎ去ると一瞬で30歳代に若返る鮮やかさ!
声音はもちろんのこと、立ち姿が全然違うんです!

急に背が伸びて痩せてスラっとして溌剌とした肉体になるんですよ!
どうやったらあんな風に変身できます???
それに開演の15分前ぐらいから、暗いステージの上、車椅子にず~っと座っているんです。
吹き替えの人かな?と思いましたが、なんとご本人!!
本番前のウォーミングアップどころか、20分近くジーっと固まって座っていて、いきなり演技するなんて!

サリエリは狂言回し的存在でもあるので、サリエリを演じながら物語そのものも進行させていくため、そのセリフは膨大!
それをもう流れるように変幻自在に操って、私たちを物語の世界に誘なってくれます。
若い二人の演技を受けながら、決して力まず、舞台空間も芝居の流れもすべて掌握して次々と物語を見せてくれるので、本当にストレスなくアマデウスの世界観に浸れます。

モーツァルト役の桐山照史君。

さすがジャニーズだけあって身のこなしがとても軽やかです。
「あさがきた」の時も落ち着いた演技ができる人だなと思っていましたが、幸四郎さん相手に全然ひるまず、振り切ってあの下品なモーツァルトと演じているのは立派!
キャラとしては、イッテQの手越君(笑)

時々ちょっと柳沢慎吾に見えてしまうのは残念…
このモーツァルト、以前は染五郎さんが演じていたとは…想像できないな~!

コンスタンツェ役の大和田美帆さん。  
大和田獏さん&岡江久美子さんの娘さんなんですね!
基本がとてもしっかりしていて素晴らしい女優さんでした。

無邪気でコケティッシュな娘時代、サリエリとの大人の駆け引き、モーツァルトを包み込む母性愛まで見事に演じ切っていました。

ヨーゼフ皇帝とその取り巻きの3人の大臣。
いわゆるちょっとお化粧をして白いクルクルの鬘を被ったいでたちなのですが、あまり違和感がないのが凄いです。

「風」と称して、街々のうわさをサリエリの耳に入れる二人の男がいるのですが、最初の登場の時
「聞いたか?聞いたか?」

って出てきたから、「え!所化?道成寺?」って思っちゃいました。

時折、街の人々がシルエットでポーズをとるシーンがあるのですが、それが影絵のように美しく印象的。

魔笛がフリーメイソンを揶揄していたり、ドン・ジョバンニを地獄に引きずり込んだのは父親の亡霊だったり、それぞれのオペラの背景が語られるのも興味深かったです。

年老いたサリエリは、モーツァルトがあの素晴らしい楽曲たちと共に未来永劫名前が残ることに嫉妬し、錯乱を装って「私がモーツァルトを殺した!」と叫び続けるのです。
そうすれば、モーツァルトと共に、自分の名前も残るだろうと。
凄まじい執念。
事実、サリエリの楽曲が演奏されることはほぼありませんが、今もモーツァルトとのセットで名前は残っていますもんね。


当時、ウィーンの音楽業界はサリエリをはじめとしたイタリア人が幅を利かせていたため、モーツァルトはハブられて苦労をしたというのは確かなようです。
イタリア派とドイツ派との権力争いの中で、サリエリとモーツァルトの対立が利用されたのかもしれません。
サリエリはお弟子さんやロッシーニからも「モーツァルトを殺したのですか?」などと聞かれて辟易していたとか。
もちろん実際は殺していないでしょうけれど、当時も大センセーショナルなスキャンダルだったようですね。