野田版 桜の森の満開の下 | akaneの鑑賞記録

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歌舞伎や演劇、映画、TVドラマなど鑑賞作品の覚書

 

息をのむ満開の桜のセット。

色鮮やかな衣装。
鬼たちの禍々しさ。
まるで夢の世界のような美しさです。
ただ「野田版歌舞伎」というより、「歌舞伎版 野田地図」って感じでしたね。
あの言葉の洪水そのままで。
七五調の台詞って言葉が何回も出てきますが、全然そんな風には聞き取れない。
根本的に何かが違うのかな?
ケレン、勧善懲悪、不条理、荒唐無稽、人情、業…
なんだろう、そういう歌舞伎の芯みたいなこってりしたもの。
うまく言葉にできないのですが、この違和感は串田さんの四谷怪談の時にも少し感じました。

私は勘三郎さんの新作歌舞伎をリアルタイムで観たことがありません。
研ぎ辰や鼠小僧、りびんぐでっとなんかは映像で見ましたが、こういう違和感は感じなかったんですよね。
それって「歌舞伎役者がやれば歌舞伎になる」という理屈だけではないように思います。
演出家と対等にやりあえる勘三郎さんだから、そして勘三郎さんが圧倒的な存在感で芝居の中心に君臨していたからこそ、歌舞伎の芯から外れないように作れたのではないかと。
中村兄弟も染五郎さんも、そういうタイプの役者さんではないですよね。
アンサンブルも活かしつつ、芝居全体を運んでいくような感じ。
そう考えると、阿弖流為やワンピース、赤目の転生なんかはきちんと今の花形が演じる歌舞伎になっていたと思います。

戦乱の世の中、権力闘争、力を持つ者と持たざる者、今日の味方は明日の敵
そういったものを皮肉っているメッセージは受け取りましたがそれで良かったのかな?って。
スタインディングオベーションの中でそんなことをうっすら感じていました
原作を読んでみれば少しわかるのかしら。


ともかく圧倒的に素晴らしかったのは七之助さんの夜長姫。
あの無邪気さと残酷さ、筆舌に尽くしがたいほどの存在でした。
歌舞伎の女形でないと、あそこまでの鬼姫は表現できませんね。
これを観られただけでも満足です。
でも、最初から鬼姫=夜長姫ってわかっちゃうから、

阿弖流為の立烏帽子/鈴鹿⇒荒覇吐!!

ほどの衝撃はなかったです。

染五郎さんのオオアマ。
目のメイクが凄く好き!どこを見ているか分からないような謎めいた視線にやられます。
不気味な野心を垣間見せる気品に満ちた策略家。
権力者のずるさと不安。染五郎さんの芝居の組み立ては分かりやすかった。

猿弥さんのマナコ。
なんとなく、猿弥さんの良さが活かしきれていなかったような…。
「マナコ」ってことは見ること。目、ですよね。
見えているけど見ていないもの。見ているけど見えていないもの。
なんかそういう役割があったんじゃないだろうか。
でもそれの意味しているものが何なのか、今一つわからなかった。

勘九郎さんの耳男。
体もよく動くし、セリフはバリバリだし、はつらつと元気な耳男。
それはそれで正解のような気もするし、本当はもっとおどおどした存在なんじゃないのか?とも思ったり。
大きな耳は、必要以上に人の言葉を気にしすぎることを意味しているのかなって。
耳を切り落とされたことでそこから解放されて自由に自分の心のままに生きられたんだろうか?
夜長姫といい感じに見えてしまったのですが、私としては「なぜかわからないけど(本当は分かっているけど)姫が怖くていつも怯えていて知らぬ間に取り込まれてしまう」のが耳男なのかなと思ったり。

そしてそして!中村芝のぶさんがすんばらしかった!!
エナコもヘンナコも、あの気の振れ方が凄まじい。

七之助さんの姫と対等にやりあってたし。
いつも「腰元その1」みたいなお役ばかりじゃもったいないよーーー!
以前は、野村萬斎さんのハムレットにもオフィーリアで出てて大好評だったもんね。
もっと外のお芝居でもどんどん活躍してほしい。

巳之助さんの般若、こちらも素晴らしかったですね。
メイクも素敵だったし、すっごく可愛いんですよ~
今月は、修善寺物語の晴彦、弥次喜多の伊之助、そしてこの般若の三役、見事だったと思います。
なんだかワンピース以降、急激に成長しているような。。。楽しみです。

扇雀さん、彌十郎さん、亀蔵さんは不完全燃焼だったかも。
もっと爪痕残せる人たちだと思う。


プッチーニの「o mio babbino(私のお父さん)」がたくさん流れていましたが、この曲にも意味があるんだろうか。
「ねえパパ!私の好きな人と一緒にさせてくれなきゃ、あのベッキオ橋から飛び降りて死んじゃうから!」って歌詞ですけど
これは夜長姫の心?早寝姫の恋心?

 

多分、野田さんのお芝居の登場人物は、ある種の概念とか意識、社会情勢、民衆などの象徴としての存在なのかと思います。

つまり「この人にも親兄弟がいて、こういう生い立ちで育ってきたんだな」と思わせる生身の人間ではないような。

だからその人の生きてきた歴史や、心の襞などに感情移入して観るものではないのでしょうね。

日本人特有の「言葉には出さないけれど佇まいで語る」演技や、起承転結の「ドラマ」を期待して観ていると、ちょっと置いてきぼりになっちゃうのかもしれません。