塀の外の信長にも庭番の声は聞こえているだろうに、助けに来る様子もなくただ「早く降りろ」という仕草をしてこちらを見るだけ。そう急かされても、と思いながらも木から塀までの幅を目で測る。塀までの距離は約3尺ほどだ、飛び移れないほどの幅ではない、でももし失敗して下に落ちたら庭番に摑まってしまう。嫁入り早々、そのような姿を見せるのはあまりに恥ずかしい。美濃から来た姫は邪々馬などと言われては父様の面目も潰すことになるやもしれぬ、否、あの父様なら笑い飛ばして終わりかもしれぬが母様は嘆かれるであろう。などと色んな思いが頭の中を交錯しているうちに庭番はジリジリとこちらに近寄ってくる。

(どうするか、飛び移るか、それとも、下に降りるか――)

思案した私はそろそろと下に降りた。勿論、飛び移った方がはるかに面白い、でもその後の事を考えた。城内の庭から飛び出た曲者を探すために城の者は右往左往するかもしれない。それだけじゃない、この庭番は曲者を逃がしたとかいうあらぬ科(とが)を掛けられるやもしれぬ。そしてそれが私だと分かったら尚の事、責めを受けかねない。そうなったら私の心が痛い。そう思っていたら庭番は私を一瞥して

「なんだ、まだ子供じゃないか。ここで何をしておった?」

と、言った。

(子供…?)

当時の私は今でいう中学2年生、満14歳だ。今ならまだ子供、と言われてもしょうがないがその時の私は自分が子供だという意識は全くなかった。なんと言っても既にバツ2だ。

「ここはお前のような百姓のガキが入るようなところではない、他の者に見つからぬ間にとっとと出て行け」

「え?」

(もしや、私に気づいていない?)

確かにこの出で立ちで、若殿の奥方とは思わぬであろうが、この場合どうしたものか、名乗るべきか、とぼけるべきか、などと迷っていたら庭番は周りの様子を伺って、裏門に近づく。

「良いか、今日の事は誰にも申すな。それがお前の為だ。城中に忍び入ったなどと知れたらお前だけではなくお前の親兄弟にまで類が及ぶぞ」

と庭番は言い放った。

「それにわしも叱責を受ける、お前のようなガキのせいでそんな目に合うのはご免被(こうむ」る」

などと言いながら庭番は私をそのまま何と城外につまみ出した。正にゴミを投げるがごとくポイッという感じである。

(ん?んんん?)

これは、えっと、要するに外に出られたという事か。という事は、私はまるっぽ百姓の小娘に見えたという事か。まあ、確かに美人ではないからこんな格好をすれば尚更に姫には見えぬだろうが、何となく釈然としないものもある。などと思っていたら目の前に信長が立った。

「お前、なんで飛び移らなかった?できただろう?」

「それは…」

「ふーん、まあいい。ついて参れ!」

と言うと信長はまたさっさと進んでいく。歩いているのか走っているのか分からないような速さだが私は完全に小走りである。もう少し、後ろに女子がいるという事を念頭に置いても良いものを、と思わなくもないが、あまりに女扱いされたらされたらでそれも腹立たしいというのもあるから厄介極まりないと自分でも思う。

 しばらく行くと川原に出た。そこには信長と同じような格好をした若者が集まっていた。どう見ても百姓の子倅にしか見えないが、ひょっとするとこの者たちも実は武家の者、という事なのだろうか。

「大将、何だ、その女?どこで拾ったんだ?」

「見慣れねえ顔だな。どこの百姓娘だ?」

「そんな醜女、この界隈におったか?物乞いか?」

などとみんな口々に好きなことを言っておる。すると信長はまたあの不敵な笑みを浮かべて、と言うか面白そうな顔をして

「こいつは俺の嫁だ」

と、声高らかに言った。その言葉にそこにいた者達は一瞬ポカンとした顔をしたが、次の瞬間一斉に噴き出した。

 

〈弐什へ続く〉

※こちらのお話しは史実に沿ってはいますが、不明な部分、定かでないところは多分に作者の創作(フィクション)が含まれますので、ご留意の上ご拝読いただけますようお願いします。

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