什伍 | タイトルのないミステリー

タイトルのないミステリー

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 こんな美しい妹御のいる殿の元に嫁いだのかと思うと、我が身が縮こまる思いがした。このような女性を見ていたのでは城中の者たちが私を見て内心笑うのも分かる気がする。今さらながら私はどうしてもう少し美しく生まれてこなかったのかと少し悲しくなった。殿は私を見てなんと言うだろう、そう思うとため息しか出てこない。それでも殿のおいでを今か今かと待っていたのだが朝まで続く宴(うたげ)の中にも、殿はとうとう姿を現さなかったようだ。ようだ、と言うのは私がその宴に朝まで同席していたわけではないからだ。今で言えば新婚初夜、主役である新郎新婦は宴の中ほどで寝所に行く事が常である。だから私もその宴を中座して寝所に案内された。婚礼の席でどんな男か顔を拝めると思ったのに。私は噂に聞くウツケの顔を一刻も早く拝みたかったのだ。

 周りの者も「若殿はどこだ?」「早く連れて参れ」と右往左往していたが、殿が婚礼の儀式に顔を出す事はなく、私は1人で皆の前でさらし者になっていた。殿の身の周りの世話をしている平手政秀は冷や汗を流して頭を垂れるばかり、見ていて気の毒なくらいだ。これで殿が現れるまで宴の席に鎮座さされてたのなら、さすがに耐えがたい。婚礼の日に夫が現れない花嫁というのもなかなかに惨めなものだ。1度目の夫も2度目の夫も気にそぐわない嫁ではあっただろうが、さすがに婚礼をすっぽかすことなどなかった。私と一緒に来た従臣達も立腹していたが、殿の姿はどこにも見当たらなかった。とは言ってもこんな事は珍しい事ではないそうだ。殿は城に常駐していることなどほぼなく、いつも外に出て百姓の若者を集めて野山を走り回っているとか。大事な接見も放置して外で遊び回っている事も少なくないとの事。なるほど聞きしに勝るウツケ者だと感心してしまう。城下でも呆れられているようだ。それにしても自分の婚儀まですっぽかすとは。しかもこの婚儀は殿の父親である、織田弾正忠信秀(おだだんじょうのじょうのぶひで)から我が父に申し入れた婚儀だと言うのに。これでは私の立場がない、周りの者は殿がこっそり私の姿を見て出奔したのかもしれないなどと囁いている、さすがに傷つくわ。でもお市殿のあのお顔を見れば私などかすんでしまうどころではない、というのは私にもわかる。世の男は美しい女が好きだから、自分の女房が醜女ではガックリ来るのであろう。顔で選ばれる時代だったら、私など100%売れ残ったのではないかと思っている。

 寝所に移った私は婚礼衣装から寝間着に着替えさせられて、殿が現れるのを待つ。しかし夜が白々と明け、小窓から陽が差す時間になっても殿がそこに姿を現す事はなかった。親に押し付けられた私のような女子を嫁に迎えるのが嫌だったということか…。ただその事に気落ちしながらもホッとする気持ちも私の中にはあった。

 実は私は2度も夫を持ち、同じ部屋で夜を過ごしたこともあるにも関わらず、褥(しとね)を共にした事はないのである。1度目が9歳、2度目が11歳、まだ幼かったと言うのもあったかもしれない。そしてどちらも1年ほどの婚姻生活で、同じ寝所で過ごしたことはほんの僅か、それも別々の布団で過ごす、要するにただ同じ部屋で眠っていただけなのである。だから3度目とはいえ今回の夫が私にとっては初めての夫(おとこ)になるであろうと心の奥では思っていた。

 それから3日3晩経っても殿が寝所に姿を現す事はなく、もしや私はこのまま夫の顔も知らないままこの那古野城で朽ち果てて行くのではないかという一抹の不安さえ覚えた。

 4日目の朝のことである、誰かが私の顔を覗く気配に目を覚ました。鼻先にある男の顔に私は思わず飛び起きた。改めて見直すもそこにいるのはどう見ても侍には見えない、先日見た百姓の子倅と同じ出で立ちをしている。こんなところにどうやって忍び入ったのか。さっきは近すぎたのと、驚いて飛び跳ねたのではっきりと顔を見ていない。改めて見直すもその顔は今度は逆光で見えない。

「誰じゃ?!」

私の声に男は軽々とした動作で飛びのくとそこに仁王立ちして言い放った。

 

「わしは織田上総介信長(おだかずさのすけのぶなが)だ!」

 

〈什陸へ続く〉

※こちらのお話しは史実に沿ってはいますが、不明な部分、定かでないところは多分に作者の創作(フィクション)が含まれますので、ご留意の上ご拝読いただけますようお願いします。