陸 | タイトルのないミステリー

タイトルのないミステリー

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(やがては一国一城の主(あるじ)に!)

それが祖父の思いだ。そうして祖父は毎年春になると美濃路へ下った。槍で一文銭を貫く芸は、油売りの行商に役立った。白い頭巾をかぶり顔も白い布で覆ってまるで芝居のように見得(みえ)を切る。今で言うと歌舞伎役者さながら、というところだ。柄杓(ひしゃく)で大きな油壷から油を汲んで高く差し上げ、一文銭を左手に持つと、その手を買い手の小さな油壷の約三尺ばかり上に固定して、油を継ぎ始める。油はまるで糸のようにその一文銭の穴を通って買い手の壺の中に注がれていく。一種の曲芸の様なものだ。人々はその様子に感嘆し、それを見たさに祖父の元に油を求めにやって来る。その人々から情報を得、美濃の情勢を祖父は見ていたのだ。

 美濃は当時、都との交流が少なく、実質的に閉ざされている状態であった。応仁の乱のとき、美濃国守護の土岐氏が西軍の山名氏に加担して以来、京都の足利将軍家と敵対関係にあったからだ。祖父はそこに目を付けた。

 商売も上手く行き驚くほどの財も貯えた祖父は、僧侶時代に同僚として親しくしていた南陽坊を訪ねた。美濃平野には稲葉山という別名金華山と呼ばれる山があり。山上に砦があって、守護代長井氏の番城(ばんじょう)になっている、その麓(ふもと)に鷲林山常在寺(しゅりんざんじょうざいじ)という日蓮宗の寺があって、南陽坊はそこで上人(しょうにん)をしていた。都との往来が簡単にできる祖父は油の販売で独占的な権利を上げ、美濃国でひと財産を築き上げた。油屋として美濃で一目置かれるようになった祖父・庄五郎は、両刀を差し武士の出で立ちをして上人に面会を申し入れた。この寺の上人であった南陽坊こと日運上人は長井一族の実力者である長井利陸(ながいとしたか)の実弟でもあった。

 南陽坊は祖父が法蓮坊であった妙覚寺にいた頃には特に仲良くしていた人物で2人して悪さもした仲でもある。南陽坊は豪商に婿入りしたと聞いていた祖父が武士の姿で現れた事に大層驚いたが、その来訪をとても喜び、旧交を温め合った。その夜は更けるまで飲み明かした。

 祖父は実は武士に戻って一旗揚げる事を考えていると南陽坊に明かした。南陽坊は妙覚寺にいた頃から祖父の才を買っていた。だから祖父が商家に婿入りした事には少なからず驚いていた。ただその婿入り先がかなりの豪商であるから、商家の当主となったらとんでもない大豪商になるだろうと予測はしていた。まさかそんな野望を持っていたとは、とも思ったが、あの法蓮坊ならそれくらいさもありなんと納得したようだ。

 当時、土岐家は相続争いが長引いていた、南陽坊はなんなら兄の長井利陸に会せるから、武士になりたいならそれから土岐家に使えると言うのはどうだと提案してきた。勿論、祖父に異存はない。

 当時の美濃守護であった土岐家は十数年前に終息した応仁の乱の影響で京都の足利将軍と疎遠になっている事に頭を悩ませていた。そこに日蓮の常在寺を拠点とする祖父が伝えてくれる京都の情報も土岐家にとっては得難い情報でもあった。それに祖父のバックにある山崎屋の莫大な財も土岐家にとっては魅力でもあったのだろう。祖父には天賦の才というか、人の懐に入る何かを兼ねそなえているところがあった。 そうして祖父は長井藤左衛門秀弘(ながいとうざえもんひでひろ)に仕官して武士として返り咲いた。秀弘は小守護代と呼ばれ、守護代斎藤妙純(みょうじゅん)、利国(としくに)の家老である。秀弘は優れた才と武芸達者な祖父を気に入り、すっかり信用して何かにつけて頼るようになった。祖父も自分の野心は隠して平身低頭で秀弘のために尽くした。

 やがて秀弘は、長井家の家老だった西村三郎左衛門の名跡を、庄五郎、つまり祖父に継がせた。この時に祖父は西村勘九郎という名になった。勘九郎となった祖父は秀弘の家臣として粉骨砕身奔走した。合戦にも真っ先に馳せ参じ、武功を重ねて行ったが1496年(明応5年)の近江六角攻めで主君の秀弘を亡くした。祖父にはその2年前に息子が生まれていた。この息子にいずれは自分の野心を継がせるつもりだ。ここで倒れるわけにはいかぬと、秀弘の嫡子の長弘(ながひろ)を立てて、その後も功績を上げ続けた。そうして1518年(永正15年)に長井姓を与えられ、長井新左衛門尉(ながいしんざえもんのじょう)となった。主君の長弘と同格の守護代斎藤氏の重臣となったのである。この時に祖父は妙覚寺に入れていた24歳の息子を自分の元に呼び寄せた。それが私の父・斎藤道三である。

 

〈漆へ続く〉

 

※こちらのお話しは史実に沿ってはいますが、不明な部分、定かでないところは多分に作者の創作(フィクション)が含まれますので、ご留意の上ご拝読いただけますようお願いします。