もしもあの時…(4) | タイトルのないミステリー

タイトルのないミステリー

おもにミステリー小説を書いています。
完成しました作品は電子書籍及び製本化している物があります。
出版化されました本は販売元との契約によりやむを得ずこちらでの公開不可能になる場合がありますのでご了承ください。
小説紹介HP→https://mio-r.amebaownd.com/

「一体誰なの?」

「いや、俺も面識はない。ただ、同じ苗字に心当たりがあると言うだけで」

「はっきり言ってよ」

「松永というのは母さんが再婚した相手の姓だ」

「お母さん…?」

私の脳裏に母と一緒にいたあの小さな女の子の姿がよぎる。と言っても顔を覚えているわけではない。いや、もう母の顔すら殆ど覚えていないのだ。うちには母の写真など1枚も残されていない。全て父が処分してしまったからだ。5年も一緒に暮らした母の顔も思い出せないのに、たった一瞬私の前を横切っただけの少女の顔など覚えている方がおかしいと言うものだ。ただあの時の光景だけは頭に残っている。

「まさか…」

「だよな。ただの偶然だよな」

「でも、お母さんの再婚相手には娘がいたよね。多分私とそう変わらない年頃の…」

「お前、母さんに会っていたのか?」

「ううん。ただ…1度だけ見掛けた事があったの。女の子と一緒だった…」

「そうか…そうだろうな。アイツがお前に会いに来るわけはない」

「どういう事?」

「アイツはそういう女だ」

この時、私は初めて母の事を聞いた。両親の離婚の理由を私は特に聞いた事はなかった。でもあの頃、両親がよく喧嘩していたのだけは覚えてる。だからきっと性格の不一致か何かだろうと思っていた。

 父の話によると母はとんでもなく浪費家だったらしい。次から次へとブランド物を買ってカードでも散財を繰り返していた。それを注意したら逆切れするという事が何度もあったという事だ。

(あれ?でも…)

私の記憶の中の母はいつも着古したみすぼらしい格好をしていた。それに反して父はいつもバリッとスーツを着こなしていた、という記憶だ。母がそんなに贅沢していたのなら、あんな格好をしていたのはおかしいのではないか、と父に言ったら父は首を傾げる。

「何言ってるんだ?お母さんはいつも着飾っていたよ。着古したような格好ばかりさせられていたのはお前じゃないか」

「え?」

「それでいつも怒っていたんだ、母親なら自分の服より子供の服を優先させるんじゃないのかって。そうしたらアイツ、子供なんてすぐに成長するからいい物着せても無駄なんだって笑っていたよ」

その言葉に、私の頭の中にある記憶が入れ替わっていく。赤い口紅、ヒールの高い靴を履いて出かける派手な女性。着古したバザーで買ったような服を着ている女の子、綺麗な格好をしている幼稚園の友達を羨ましく見ている女の子。

(あれは…私?)

どういう事だ、記憶が間違っていた?でもどうして…?

「お前、母さんにいらないって言われてショックを受けていたからなあ。子供って嫌な記憶を封じ込める事ってあるみたいだし、そういうことかな」

要するに私が父を選んだのではなく、母が私を捨てたって事なのか。私はそれを認める事が出来ず、記憶を都合よく変化させてしまっていたって事なのか、そんな事ってあるのか。夫の死体を見た時より頭が混乱してきた。

 いや、兎に角その事はいったん置いておいて、夫を殺したその松永瑠璃って誰なんだ。本当に母が再婚した相手の連れ子なのか。いやいや、彼女と私は一面識もないに等しい。その彼女が私の夫と愛人を殺す理由などないだろう。それとも夫と直接知り合いだったのだろうか。瑠璃も夫の愛人だったのか。それで他にも愛人がいると知ってカッとなって2人を殺したのか。でもそんな偶然ってある?もうわけが分からない、頭の中は疑問符だらけだ。でも松永なんてそれほど珍しい苗字じゃない、そうだ、たまたま名前が一緒だっただけだ。こっちの偶然の方がまだあり得る。

しかし、そのあと警察から、その松永瑠璃という女性はやはり母が再婚した相手の連れ子だと言われた。思わず夫の愛人だったのかと聞き返したが、殆ど喋ったこともない間柄だと瑠璃は供述しているらしい。じゃ、なんで殺すんだ。全くわけが分からないと思っていたら、その後また警察から彼女の供述内容を聞いた。

母は父と離婚した2年後、再婚した。相手は大企業の社長の御曹司。母はその会社に派遣で行っていたらしい。彼は妻に先立たれて残された幼い娘を不憫に思っていた。母は彼の寂しい心に付け込んだ。別れた夫に愛娘を取られてしまった、彼の娘はちょうど離婚した時の娘と同じ歳。自分の娘のように思えて可愛くて仕方がないとか言って近づき、まんまと後妻に収まった。

結婚5年目に旦那の父親が急逝した。瑠璃にとっては祖父に当たる人だ。母の夫が時期社長になるはずであったが、前社長が専務との派閥争いをしていたところに亡くなったものだから一気に情勢が変わり社長には専務が就任した。そうなると前社長の息子は邪魔な存在となる。母の夫は地方の工場に追いやられ不遇の日々を送ることとなった。給料は今までの半分くらいになり、亡くなった父親が専務に勝つためにばらまいていた個人的な借財も出てきた。その2年後、母は有り金を全部持って離婚届を置いて出て行ったらしい。父親は心労が重なり倒れてしまい、以来ほぼ寝たきりになった。娘は俗にいうヤングケアラー状態となり、それでも何とか父親を支えて頑張っていたそうだが、高校に進学する余裕もなく、それまでお嬢様として生きてきたから余計に心は荒んでいった。こんな事になったのは全て母のせいだ。お金を持ち出して父を捨てた母を恨んだ。今の不幸の原因は全て母のせいだと思えた。

そして3年前に父親が亡くなった。15年以上に渡る貧乏介護生活で疲れ切っていた瑠璃はホッとする気持ちもあったが、心にぽっかり穴が開いたような気がした。そんな時、ふと頭に浮かんだ。継母には自分と変わらない娘がいたはずだと。その子はどうしているのだろう、あの女の娘も自分と同じように不幸な人生を送っているのだろうかと思うと気になって仕方がない。それでなけなしのお金で私の事を調べたら、幼少時代からエスカレート式のお金持が行く学校に通い、今は弁護士なんていう御大層な職業の男と結婚して幸せに暮らしている。それを聞いて腹が立ったそうだ。母の本当の娘でもない自分はあの女のせいでこんなに惨めな暮らしをしているのに、あの女の血を引く娘は幸せな結婚をして穏やかな生活をしている。なんて不公平なんだと、私に対して憎しみまで抱くようになった。それってどう考えても逆恨みだと思うが、母の居所は調べても分からなかったので、憎しみの矛先は全部私に向かった。そんな思いを抱えているうちに私に文句のひとつも言ってやろうと乗り込んできた。瑠璃はそこにいた涼香を私だと思い込んだ。私と涼香は特に似ているわけでもない、写真も見ていたはずなのに、気持ちが高ぶっていたせいか、この家にいる女性は私に違いないと思い込んでしまったようだ。

かと言って殺すつもりだったわけじゃない。それがなぜあのような事になってしまったのか…。

 

〈もしもあの時…(最終回)に続く〉