「ねえ、和って浩太の事好きなの?」

寧々の不意の質問に和は思わず目を見開く。

「な、何言ってるの。そんなわけ、上條君はただのクラスメイトよ」

「そう?だって和って時々浩太の事見てるよね」

「見てる?」

そう言われてみると思い当たる事はある。無意識だったがいつの間にか浩太の姿を目で追っている事が。しかしそれは断じて好意を寄せているという意味ではない。

「それは、そういう意味じゃないわ」

「じゃ、どういう意味?」

「別に意識して見ていたわけじゃないから」

「無意識って事?それこそ好きって事なんじゃないの!」

やけに燥いだ口調でそういう寧々に和は何か尤もらしい言い訳をしなくてはと思うのだが相応しい言葉が思いいつかない。理屈を並べ立てる事は得意な和でさえも饒舌な寧々に下手な事を言うと言い負かされてしまいそうな気がする。

「だ、だから、そうじゃないって」

「隠さない隠さない、ほら、百人一首にもあるでしょう。しのぶれど色に出にけり我が恋は、ん?我が恋は…えっと何だっけ?」

「ものや思ふと人の問ふまで。平兼盛」

「そうそう、それ!それね」

「だから違うってば!そんなんじゃないのよ。ただ、」

「ただ、何?」

「ちょっと、上條君に興味があっただけよ」

「興味って何?それって好きっていう事とどう違うの?好きの始まりは興味からだよ」

「何、それ?誰がそんな事言ったの?」

「私。だって私、和の事好きだもん。だから興味あるの。それとおんなじだよね」

全然、同じではない。それに寧々がどうして和を好きだというのかも理解できない。特に優しくした覚えもなければ転入生だからと言って面倒を見たつもりもない。

「好きって、私の事何も知らないじゃない」

「だから知りたいの。それに誰かを好きになるって理屈じゃないでしょう。フイ―リングっていうのかな、合うとか、合わないとか、その人を知る前に分かっちゃうって事あるじゃない。ああ、この人とは合う、みたいな。直感的なもの。ね、分かるでしょう」

「分からないわ。、私はそんなもの感じた事ないもの」

和がそう言い放つと寧々は目をパチクリさせて和を見る。まるで不思議な生き物でも見るような目だ。

「へえ、そうなんだ」

そう頷いて寧々はニッと笑った。

「なんか、増々和に興味持っちゃった。それにね、私も浩太には興味があるんだ」

「え?」

「なんかさ、境遇似てるから」

そう答えた寧々の顔を和は思わず見る。寧々は和と浩太の事を言っているのかとドキッとした。

「境遇…?」

「うん、私と」

「紫園さん?」

「うん、浩太んちもお母さんいないって聞いたから。うちもそうなの。父親と二人暮らし」

「え、あ、そうなの」

和の事ではなかった。

「何?なんかホッとした顔しているよ。あ、もしかしたら私が浩太の事好きかもとか思った?」

「そんな事思っていないわ」

「大丈夫、大丈夫。私の方こそ、そんなんじゃないから。和の恋の邪魔はしないよ」

「だから、違うって言っているでしょう!」

思わず大きな声が出て周りの視線がこちらに注がれる。電車の中で大声を出してしまうなんて、こんな事は初めてだ。寧々といるとどうにも調子が狂う。

「和、なんかムキになってる」

寧々が愉快そうな顔をしている。すっかり寧々のペースに乗せられてしまっている。これから毎朝、これが続くのかと思うと先が思いやられる。それにしても寧々は浩太といつの間にそんなに親しくなったのだろうと思った。浩太の事を名前で呼んでいる。アメリカ帰りの寧々だからそれはきっと自然な事なのだ。寧々は誰の事も名前で呼んでいるだけなのだ、そうは思ってもほんの少し胸がチクッとした。そんな自分の感情に気付いて和はもしや寧々の言っている事は、と思う。自分で見ない振りをしていた心の奥を寧々に覗かれてしまったかのような気持ちになる。だが直ぐにそれを否定する。そんな事はないと。第一、和には誰かを好きになる資格などないのだ。他の女の子の様に恋など出来ない、和の過去を知ればきっと誰も和を好きになどならない。ずっとそう思っている。この思いを消す事は出来ない、和はあの男に汚されたその日からどんな男性とも触れ合えない。フォークダンスで手が触れただけで気持ちが悪くなるのだ。和が早い時間に電車に乗るのは他の生徒と顔を合わさない為だけではない、満員電車で見知らぬ男性と身体を密着させたくないからだ。それだけで吐きそうになってしまう。あの男の残した爪痕は死んでも尚消えないまま和の身体に深く残っている。こんな自分が普通の女の子の様に誰かを好きになって恋をするなんて事あり得ないとしか思えない。そんな夢は疾(とっ)くの昔に消え去ったのだ。恋も夢も和には無縁の事なのだ。和はもう普通の女の子には戻れない。

「…和、和、」

呼ばれて顔を上げる。

「ほら、駅着くよ」

見ると電車はもうホームに入ろうとしていた。和は慌てて出口に向かう。ホームに降り立つと寧々が和を振り返る。

「どうかした?なんか和、難しい顔していたよ」

「別に、どうもしていないわ」

和は寧々から視線を逸らすようにして歩き出す。寧々はそんな和の後を追う様に付いてくる。その後も寧々は色々話しかけてきていたが和は適当に頷いて足早に歩を進める。寧々はどうして和に関心を持つのだろう、とても煩わしいと思ってしまう。人と関われば関わる程和は自分が他の誰かとは違うのだという事を認識してしまう。寧々の様に無邪気にはなれない。心の鎧は和を守る為のものだ。それを誰にも剥がされたくない。

「和、和」

何度目かに呼ばれて仕方なく振り返った和の眼鏡を寧々が掴み取った。

「ほら、やっぱり!」

眼鏡を外した和の顔を見て寧々は頷く。

「無い方がずっと良い。和、とっても綺麗な顔してる」

「返して!」

「どうして眼鏡なんてしているの?和、目悪くないよね」

「返してったら!」

和は寧々の手にある眼鏡を取り返して付け直す。

「もう、私に構わないで!」

和はそう言い捨てるとさらに早足になる。寧々は後ろから何度も和の名を呼んだがもう振り返らなかった。ズカズカと心の奥に踏み込んで来ようとする寧々の心情が計り知れない。何か他に目論見があるのではと思わずにいられない。

 

 

     <肆拾捌(四十八)へ続く>