その日、寧々が何度も和の方に視線を送ってきている事に気付いていたが和は敢えて見ないようにしていた。これ以上心の中を覗かれたくない。昼休みになると寧々は朝陽や浩太と何か話していた。和は寧々が二人に和の事を話しているのではないかと思ったがわざわざそれを聞きに行く事も出来ない。人の輪の中に入るという行為をもうずっとしていない。小学校の時はどうしてあんなにも普通にそれが出来ていたのだろうと思う。昔の和の様に誰の輪の中にもすんなり入って行ける寧々がほんの少し羨ましいとも思う。でも和にはもうそれは出来ない。出来ない事ばかりが増えていく、そんな気がする。

 翌日、朝の電車に寧々は乗ってこなかった。きっと昨日、あんな事を言ったせいだと思う。その事にホッとする一方、どこか物足りなさを覚える。心とは不可思議な物だ、自分の心なのに思いは定まらない。学校に着いてみんなが登校してくる時間になっても寧々は現れなかった。和はついつい出入り口を見て入ってくる者の顔を確かめては寧々ではないと思っている自分に気付く。あんなに煩わしいと思っていたのにいないと少し寂しい。

「今日は紫園さんと一緒じゃなかったの?」

浩太が近寄ってきて和に尋ねた。

「ええ」

「そうなんだ」

「別にいつも一緒ってわけじゃないから」

「そうなの?なんか仲が良いのかなって思っていた」

「特に仲が良いわけじゃないわ。ただのクラスメイトなだけよ」

「昨日、紫園さんが君を怒らせちゃったって言っていたよ。何かあったの?」

「彼女から聞いてないの?」

「それが彼女にも深見さんが何で怒ったのか分からないって」

「分からないって…」

「なんか、いきなり怒り出したって。ちょっと凹んでいたよ」

「いきなりって…」

それではまるで和が変な子みたいではないかと思う。

「まあ、紫園さんは遠慮がないからね。でもきっと本人に悪気はないと思うんだ。外国暮らしが長かったから日本人的な感覚がちょっとずれているだけだと思うよ」

何となく浩太が寧々の事を庇っているように聞こえた。

「上條君は紫園さんの事がよく分かっているのね」

「別に、そういうわけじゃないけど、でも頑張っているなあって思っている。うちみたいにクラス持ち上がりの学校に二年になってから入ってくるのって気後れしそうなのにすぐ皆に溶け込んで。それって彼女がみんなと仲良くなりたいって気持ちの表れだと思うし。彼女なりの努力何だと思う」

浩太の言う事は尤もだ。そうは思うが何故か腹が立つ。

「それって、私がそういう努力をしていないって事を言っているの?」

「え?否、そんな事は、ただ、」

「じゃ、上條君がせいぜい紫園さんと仲良くしてあげれば良いじゃない。私はああいう人は苦手だから」

そう言った時に廊下をバタバタと走る音が聞こえて始業のチャイムが鳴るのと同時に寧々が教室に駆け込んできた。

「セーフ!」

息を切らしながら寧々が自分の机に突っ伏すように着く。

「どうしたの寧々がギリギリなんて珍しいじゃない」

寧々の前の席に座っている子が振り返りながら声を掛ける。

「寝坊しちゃって、目覚まし掛けるの忘れちゃってた」

「あらら」

「だから今日は朝ごはん抜き、お腹減った!」

その言葉が終わるか終わらないうちに担任が教室に入ってきてみんな前を向き直した。

(寝坊…)

和の言葉のせいで来なかったわけじゃなかったんだと思った。昼休みになると寧々が和の傍にやって来た。

「わ、和のお弁当美味しそう!」

弁当を覗き込むようにして寧々が声を上げる。

「私、今日お弁当作る時間なくて、食堂でなんか買ってくるし、それ迄食べるの待ってて」

「待っててて…」

和はいつも一人で食べている。

「いっつも思ってたんだ、和一人で食べてるから。絶対誰かと一緒に食べた方が美味しいよ。だから、待ってて、ね」

そう言うと寧々は踵を返し走って行ってしまった。和はどうしたものかと考えあぐねる。いつも寧々と一緒に食べているわけではない。だから待っていなければいけないという義理もない。寧々の周りにはいつも誰かがいる。和が待っていなくても一緒に食べる相手には事欠かないだろう。でもこのまま先に食べてしまうのもなんだか意地が悪いように思えた。迷っているうちに寧々が戻ってきた。

「良かった!ちゃんと待っていてくれた」

寧々は嬉しそうな顔をして和を見る。余程急いできたのか朝と同じように息を切らしている。そのまま寧々は和の前に座る。逃げるわけにもいかない。

「ね、和のお弁当ってお母さんが作っているの?良いな」

「叔母が作ってくれているのよ。母はもういないわ」

「いないって?」

「私が中学へ上がった年に死んだの」

「え、そうなの?全然知らなかった。和ったら何にも言わないんだもの」

「そんな事わざわざ吹聴する事じゃないでしょう」

「そうだけど、え、じゃ、和もうちとおんなじ?お父さんと二人なの?」

「…違うわ。今は叔母の家にいるの。父親は小さいときに母と離婚してそれっきり会ってないから何処にいるのか知らないわ」

「そうなんだ…ああ、だからだ」

「だからって?」

「私が和に親近感を覚えるのは、きっと似ているからだよ。私達二人ともお母さんがいないから」

「そんな事関係ないと思うけど。言わなければ分からなかった事なんだし」

「言わなくても何処か通じるものがあるんだよ。あ、でも和には叔母さんがいて良かったね。一人は寂しいもん」

そう言った時の寧々の目が一瞬、寂しそうに見えた。

「一人って、紫園さんにはお父さんがいるんでしょう」

「いるけど…仕事で殆ど家にいないから朝ごはんも晩御飯もいつも一人。だから学校で食べるお昼が一番楽しい。みんながいるから」

「そうなんだ…」

いつも明るい寧々にもこんな一面があったのだと思った。

「お父さんと一緒にご飯食べれると良いのにね」

つい、そんな言葉を零してしまった。すると寧々はちょっと驚いたような顔をした。

「和がそんな事言ってくれるなんて!やっぱり和って優しい!」

「わ、私は、別に…」

「でも駄目なんだ。お父さんは私と一緒に居たくないの」

「え?」

「あ、な~んでもない。さ、早く食べよう!あ、これ頂戴ね!」

寧々はそう言うと和の弁当箱に入っている卵焼きを手で掴んで自分の口に放り込んだ。

「あ、ちょっと、」

 

 

    <肆拾玖(四十九)へ続く>