こうして自分の気持ちを口にしてみると改めて何を詰まらない事を言っているのだろうと思った。これじゃそこらの女子と一緒だ。一緒――そう思った瞬間に一緒ではないと思う。一緒になりたくても一緒にはなれない、和は皆とは違うと。

「でも、なんか、懐かしい」

浩太は少し目を細める様にして和を見て微笑む。その表情はあの頃のままだ。

「あの頃に…戻れたら良いのに…」

思わずそんな言葉が零れた。偽りのない思いだ、あの時は浩太が来なくなって少し寂しいという感情があった。特別な感情があったとは思っていない。ただ、浩太は和にとって好敵手であり、どこか同士のように思っていたところがあったのだ。グランドで浩太とボールのやり取りをするのが本当に楽しかった。浩太からボールを奪う瞬間は得も言われぬ満足感があった。

「あの後、練習試合行く度に上條君いないかなあって探している時期あった。でもやっぱりいなくて…残念だった」

特に会話をした事はない、でも互いに一目置いていたという認識はあった。

「でも、もし見つけても声なんて掛けられなかったと思うけど」

その言葉に浩太は小さく頷いた。

「深見さんのお母さんはいつ亡くなったの?」

「中学入ってすぐよ」

「あの、前に殺されたって言っていたのは…」

やはり浩太はその事を気にしていたのだ。本当に余計な事を言ってしまったと今更ながら思う。

「あれは…忘れて」

「忘れてって…」

殺されたようなものだ、とは言っても実際は違う。母は自分で死んだのだ。

「あれは嘘よ。母は自殺したの」

和はまるで他人事のようにそう答えた。浩太はえ?という感じに目をぱちくりさせている。

「あの人は弱い人だった。私はあんな風にはならない。絶対に」

言葉の語尾に少し力が入る。また、頭に浮かぶ、最後に見た母の姿が。ほんの少し、胸がキリキリと痛むような気がした。母が死んでも涙すら出なかったというのに。

「もうやめましょう、昔の事を話してもしょうがないわ。お互い楽しい話じゃないし」

浩太は何か言いたげな顔で和を見ている。

「あの、もう一つ聞いても良い?」

「何?」

「なんで伊達眼鏡なんてしているの」

ちょっと予想外な質問だった。浩太がそういう事に気付くなんてと。

「伊達だって気付いていたの?」

「あ、否、僕じゃなくて朝陽が」

「ああ、木島君。彼なら目敏そうだものね」

確かに朝陽なら気付きそうだ。少し軽そうには見えるが結構人を観察しているようなところがある。和は朝陽にずっと見られていると何もかも見透かされてしまうのではないかという不安を覚える事がある。

「それって、なんか意味があるの?」

この眼鏡は本当の自分の姿を隠す為でもある。

「これは…弱い自分を隠す為よ。まあ、鎧みたいなものね」

「鎧って、」

「ああ、何だか喋っていて遅くなったわね。もう、帰りましょう。中間テストが終われば連日学園祭の準備で遅くなるわよ」

これ以上話していると知られたくない事まで知られてしまうのではないかという気がしてくる。絶対、誰にも知られてはいけない事を。和は会話を中断して帰り支度を始めた。浩太はまだ何か言いたそうであったが気付かぬ振りをして教室を出た。

 帰り道、また誰かの視線を感じた。前のようにぞくっとするものではないがその視線は妙に纏わりついてくるように感じる。和は辺りを見回すが誰もいない。やはり気のせいだろうか、でももしかしてまたあの男が、とも思ったがそれとは少し違う様に感じた。何の根拠もないのだがあの男の気味の悪い視線とは何処かが違う、かと言って優しいという視線でもないが。浩太に余計な事を色々喋ってしまったせいかもしれないと思った。昔の自分の事を知られたくないと思っているのにどうして自分から話してしまったのだろう。そんな事をすればあの男の事だっていつか知られてしまうかもしれないのに。そんな後悔にも似た思いが誰かに見られている様な気分にさせるのかもしれない。

 だがそれから和はその視線のような気配を度々感じた。学園祭の日もずっとその視線を感じていた。学園祭には色んな人が来る。もしかしてあの男が紛れ込んだりしているのではと思ったが、色んな人が来ると言っても一応、門のところで警備員に身分証の提示はさせられる。持っていない者や不審者と思われた者は入れない、あの男がすんなり入れるとは考えられない。

 だが嫌な予感というのは得てして当たってしまうのか。和はそれから暫くして学校の近くの駅であの男を見た。今度ははっきりと。似た男ではない、アパートにいた頃よりずっと窶れて荒んだ感じがするがそれは間違いなくあの山下だった。どうしてこんなところにいるのだろう、彼は誰かを探しているかのように辺りをウロウロしながら行き交う人の顔を覗き見る様にしている。和は逃げる様に近くのコンビニに飛び込んだ。幸い向こうは和には気付かなかった。だが和の脳裏にははっきりとあの男の姿が焼き付いている。心臓が大きく波打っていた。

(どうして

山下がどうしてこんなところにいるのだ、誰かを探していた。まさか和を探しているのではあるまい、和がここにいるなんてあの男が知っている筈がない。息が苦しくなる。和は思わず胸を押さえてそこにしゃがみこんだ。

「大丈夫ですか?」

和の様子を見た店員が近寄ってくる。

「だ、大丈夫です…」

そう答えたが心臓の動きはさらに早くなる。

「顔色が悪いですよ、ちょっと、奥で休まれますか」

そう言ってその店員は和に手を差し出す。

「済みません…」

和はその手を取って支えられるように店の奥に入り、そこにあった椅子に腰かける。

「ちょっと待ってて下さいね」

頭の中は今見た山下の姿でいっぱいだ。消しても消しても消えない、どんどん息苦しくなる。店員が水を持ってやってきた。

「大丈夫、慌てないで、ゆっくり息を吸って」

店員は和の背を優しく撫でる。その手の温もりが背中に広がって段々と落ち着きを取り戻す。

「良かった、大丈夫みたいね」

「はい…済みません、ご迷惑をお掛けして」

「いいえ、私の妹もよく過呼吸になるから。何だか放っておけなくて。はい、お水。ゆっくり飲んでね」

「ありがとうございます」

和はその水を受け取り両手で持つとゆっくりと口を付けた。

「暫く休んでいくと良いわ」

和の様子を見て店員は店の中に戻って行った。山下がこの近くにいる、そう思うだけでまた動機が早くなるのを感じる。和はなるべく考えないようにして気持ちを落ち着かせて店内に戻る。店の中には客が四、五人パラパラといたが山下はいない。和はそのまま出入り口に向かい駅の方を窺う。山下の姿は見えなかった。ホッとして和はさっきの店員に頭を下げて外に出る。

 

 

     <肆拾壱(四十一へ続く>