和はリレーのアンカーに選ばれていた。体育の授業で百メートル走の和のタイムがクラスで一番だという理由からだ。サッカーやめてから授業以外、運動というものを殆どしていないが選ばれて少し嬉しかった。走る事は大好きだ。結果などに拘っていなかったが選ばれると勝ちたいという意識が沸いてくる。だが当日、和がバトンを受け取った時は七クラス中四位にまで落ちていた。一人目は二位を保っていた。二人目で三位に落ち、三人目はまた一人追い抜かれ四位である、バドンを受け取るときは後ろの五位の選手が既に目の前まで迫ってきていた。三人目の子が和にバドンを渡す時、息を切らすようにしてその口が小さくごめんと言ったのが分かった。

「任せて!」

バトンを受け取った時、和は思わずそう口にした。絶対、負けない、誰にも追い越されないと思った。和は気付いていなかったがしなやかに軽やかに走るその姿は見る者の目を奪う。あっという間に後続者を引き離し、一人抜き、二人目を抜く。身体に当たる風が心地良かった。あと目の前の一人を抜くと勝てる、もう少し、あと少しで追いつく。だがあと一歩のところでゴールに間に合わなかった。ほんの0、何秒かの差で二位に終わった。悔しさが込み上げる、思わずその場で唇を噛み膝に両手を置いて屈んだ。サッカーで負けた時も悔しかった。あの頃の気持ちが蘇る。その瞬間にクラスメイトが走り寄って来た。

「凄い!深見さん」

「ほんと、凄おい!」

皆口々に囃し立てながら和を迎え入れる。

(え…?)

いつの間にかみんなの輪の中にいた。

「な、何?」

「すっごい、格好良かった」

「恰好、良い…?」

でも勝てなかった、そんな思いが胸を占めている。

「でも…」

「惜しかったね、もうちょっとで追い抜けたのに」

「そうそう、あと一メートルあれば絶対勝ってた」

「でも二位だもん。四位から二位なんて快挙だよ」

「そうそう、深見さんのお陰ね」

そう言って皆が拍手をした。クラスメイト達がみんな嬉しそうな顔をして和を見ている。その事に戸惑いながらも和は胸が暖かくなってくるような気がした。こんな感覚はずっと忘れていたように思う。サッカーの試合の後と同じような気持ちになった。それに走っている時は他の事は全て忘れていた。

 最終成績は学年二位になれたが総合は三位だった。みんなは喜んでいたが和は少し悔しかった。来年は絶対一位になりたいと密かに思ったが口にも表情にも出さなかったので和がそんな事を思っているなどとはきっと誰も思わないだろうと思った。でも学校に来る楽しみが一つ出来たと思った。学年でも総合でも優勝したのは生徒会長をしている譲原真理子の率いるクラスだった。流石に三年ともなるとクラスの団結力は到底及ばない。譲原真理子には生徒会室で何度か会った事があった。美人で聡明で非の打ちどころのないという言葉がぴったりの女性だ。それにどこか人を惹きつけるようなオーラを持っている。あんな風になれたら人に付け入れられたりする事もないのだろうと思ってしまう。ある意味憧れの女性でもある。それはきっと多くの女子生徒がそう思っているだろうと思う。否、女子だけでなく真理子に好意を持っている男子生徒もかなりの数に上るだろうと思われる。真理子には同じクラスで仲の良い藍田瑞樹、柏木杏奈という生徒がいた。三人とも一際目立つ異彩を放っていた。三人が一緒にいるところを何度か見た事がある。それぞれに全く違う個性を持っているのにとても信頼し合っている様子が伺える。あんな風な友がいたら何かが変わる事があるのだろうかとふと思う事がある。でも和は誰かと特別仲良くなる事が怖い。仲良くなって和が他の子達と違うという事を知られたら、と思うとどうしても距離を置いてしまう。知ったらきっと軽蔑される、そんな風に思ってしまう。

 興奮冷めやらぬうちに体育祭の後片付けも終わり帰ろうとしていた時に浩太と朝陽が楽しそうに話しているのが目に入った。和はカバンからこの間のホームルームで話した学園祭の演目のアンケートからピックアップして書き留めていたノートを取り出す。

「楽しそうにしているところ悪いんだけど」

楽しそうな二人の間に水を差すように冷ややかな声で話し掛ける。

「な、何?」

浩太は一瞬、構える様にする。まるで和に怯えてでもいる様なその態度に何となく腹が立つ。折角さっき迄少しは楽しい気分になっていたのにと思う。浩太は和が次に何を言うのかと様子を窺っている。何だか叱られている子供みたいだと思う。

「学園祭は体育祭より大掛かりだから、明日からすぐに準備にかからなければいけないと思うの」

「そ、そうなの?」

浩太は和ではなく朝陽の方を見て問う。

「あ、うん。姉ちゃんもそう言っていた。俺も一度来た事ある。明星祭って言ってこの辺の地域の人や、保護者とかも入れるみたいでバザーとかもする。なんかお祭りみたいだったよ」

「へえ、そうなんだ」

朝陽の言葉に浩太は感心するように頷いている。声を掛けたのは和なのに浩太はどうして和から視線を逸らして朝陽と会話しているのだ。和の中から僅かばかりあった楽しかった余韻が消えていく。

「ホームルームで出た意見やアンケートの集計に基づいて出店や、舞台演目の種類ピックアップしておいたから明日のホームルームはこれで進行してくれる?」

そう言いながら和は手に持っていたノートを浩太に差し出す。

「あ、うん。分かった、ありがとう」

「舞台演目はそれに将来掛けている子もいるから慎重且つ公平に議事を進めるよう配慮してね」

「しょ、将来?」

和の言葉に浩太は目を見開く。そしてまた朝陽の方を見る。そんな大袈裟なとても言いたげな顔だ。そりゃそうだ、たかが高校の文化祭の演目に将来を掛けている人間がいるなんて思わないだろう。和だって先日聞くまで全く考えていなかった事である。体育祭の打ち合わせで生徒会室に赴いた時に真理子からそんな話を聞いたのだ。すると朝陽が口を開く。

「ああ、それ聞いた事ある」

「聞いた事って?」

「学園祭にはその道のエキスパートが見に来たりしているって」

「エキスパートってなんだ?」

「例えば、音楽や演劇とかのさ。それで才能が認められて海外の有名学校に推薦された人物とかいるらしい。現在国内、海外で活躍しているここの出身者、結構いるらしい。ミュージカル俳優とか、ほら、何て言ったかな、あのフルート奏者の…」

朝陽の言葉を和が受け継ぐ。

「加賀瑤子(かがようこ)」

和はその名前を譲原真理子から聞いたばかりだ。加賀瑤子の名は知っていたが明星の出身だとは知らなかった。今じゃ世界的なフルート奏者だ。そんな風に自分の目標があればと思う。そうすればそれだけを考える事が出来るかもしえないのに。

「そうそう、彼女もその一人らしい」

「そうなの?」

浩太は驚いたような顔をして朝陽を見返す。どうやら和とは会話する気はないようだと思う。やはり、この前あんな事を言ってしまったから怒っているのかも知れないと、それならそれで構わないと思う。

「じゃ、宜しくね」

和はそう言い残してその場を立ち去ろうとしたが後ろから朝陽に呼び止められた。

「ちょっと、待って」

和はゆっくりと振り返る。

「前から聞いてみたかったんだけど、深見さん、どうして浩太のお母さんの事知っているの?」

「お、おい」

朝陽のその言葉に浩太も驚いたようだ。

「おまえ、何言いだすんだよ」

「だって、なんか喉に小骨引っ掛かったみたいな感じでずっと気になっていたんだ。でもいつも周りに人がいるから中々聞けなくて」

浩太は朝陽には何でも話しているのだと思った。朝陽も浩太の身に起こった事を総て知っているのだと。和は何故か自分だけではなかったという事に少し落胆している。

「知っていたら、どうなの?」

和は全く無表情のまま聞き返す。

 

 

       <参拾質へ続く>