前回の予告通り、今日は『自由意思』について。
この言葉のトリックにさえ気づかなかったばかりに、多くのものを犠牲にするハメになった方も多くおられるでしょう。JW世界では常套手段としてこの『自由意思』という言葉が使われています。
 
 
先日過去ブログを整理してる際、自由意思に関する話が出てきました。『うわ~やっぱり怖いな~』と思ったので、内容としては重複しますが改めて見て下さればと思います。
 
 ※元記事はこちら


2015年の地区大会のプログラムです。

2日目の午後のシンポジウム

13:50-

『イエスの力の用い方に倣いましょう』

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(第一部:愛する若者たち)

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・エホバは若者たち全員に幸せになって欲しいと思っています。若い時期は格別な時期です。(箴20:29)

・若者には力があります。大抵は元気で、活動的です。いろんな事にチャレンジできるチャンスも開けています。

・『この世』の若者は幸せなのでしょうか?自由には振る舞っていますけど、幸せではないようです。今の自分を重要視する精神態度を示し、持っている貴重な体力や時間、お金、それらを浪費しているだけの実に不幸な生活です。

・それとは対照的にエホバの力を受け、その影響力のもとにある若者たちはどうでしょうか?若い人たちは皆、本当に幸せを感じておられます!そして人生において成功をおさめることができているのです。

・それはイエスの精神態度に見倣っていることになります。イエスの力の用い方に注目しましょう。

・若い皆さんには多くのチャンスがあります。勉学やスポーツ、また芸術といった分野で才能を伸ばすこともできます。

・しかしイエスにはかないません。イエスは完全な頭脳と体をお持ちでしたからどんな分野でも一流になれたことでしょう。歴史に名を残すこともできました。しかしイエスはそうしたものを追い求めなかったのです!人間としてのごく幼い時から霊的な事への愛を培っていたのです。これがイエスの精神態度の根幹をなすものです。

・イエスはこれまでに生存した最も偉大な大工になることもできました。しかしイエスが生涯の仕事にしたのは『メシアとしての特別な割り当て』でした。それを喜んで受け入れました。これがイエスの力の用い方です。

・※ラッセルがどーの…ノアがこーの…という話

・※経験

・若い皆さん、イエスに倣って下さい!イエスは常に自分の力を、エホバの意志を行う為に用いる、という良い選択をしました。

・イエスも選択の自由を持っておられたのです。考えてみるとサタンでさえ、選択の自由をもっていたのではないでしょうか。そして完全であったアダムとエバでさえ、選択の自由がありました。み使いもそうです。ノアの時代に自ら選択して地上に降りてきてしまったわけです。そうです、彼らが愚かな選択を取っただけです。

・では、若い皆さん!あなたはどうされますか?エホバはあなたに素晴らしい『自由意思』を与えて下さいました。エホバはご自分に仕えるよう決して強制されたりはされません。ロボットのようにあなたを扱うことはしないのです。だから選択はあなた次第なのです!

・(箴23:26)エホバは正しい選択をするように勧めてくれています。ご自分に仕える生活から幸福を得て欲しいと思っておられるのです。
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『それって選択の自由ですかっ!!』
ってデッカイ声で叫びたくなりますよね。
 
 
DEAD or ALIVEの選択のどこが『自由』なんでしょうね。ま、実際にはそんな重大な選択ではなかったにしろ、ね。
 
 
「ここに地雷が埋まっています。踏むか踏まないか、あなたは自由に選択できます。」
「私たちはエホバに仕えるか滅びるかを自由に選択できるんですよ♪」
これ、‘神さまが与えてくれた素晴らしい選択の自由’と呼べるんですか?

 

 

それはね、単なる
『命令』または『脅迫』
でしかないんですよ。
 
 
そのことをわかりやすくイラストにしてた方がいらっしゃいましたので、ご紹介いたします。
ツイッターのお友達『しゃもさん』のイラストです。しゃもさんの承諾を得た上で貼らせて頂きます。他にも興味深い漫画など描いておられますので、気になる方はぜひ一度ご覧ください。@ShamoChabo
 
ね?ホントこの通りなんですよね。
前回の記事の内容で例えるなら、
『あなたには大学に行くか行かないか自由に選択することができます。行かないなら神さまは喜び、必ず幸福になれます。行くなら神さまは悲しみ、必ず不幸になります。』
 
このように言われているのと同じです。そりゃ宗教とは関係のない環境で育っているならば、『神さま?知らんがな』と答えることができますが、こちらは物心つく前からこの世界にドップリと漬かってるわけです。そうはいかないですよ。何と言っても『反抗するものはブッ殺すエホバ神』について聖書物語の本でガッツリ教え込まれ、『あなたはハルマゲドンでどうなるかな?楽園で永遠に生きたいかな?それとも悪魔と一緒に滅ぼされたいかな?』 なにをするにしても『そのあなたの行動は誰を喜ばせているの?エホバそれともサタン?』そんな教育を満喫してきたわけですから。


先程のイラストで言うと、我々2世は、いや、1世信者でさえ、『常に喉元に鋭利なナイフを突き付けられた状態』で選択を求められてきたといえるでしょう。


神さまを利用して、そして人の本来持っている信仰心のようなものを巧みに利用して、自分達の思いのままに操ろうとする、自称神が用いている唯一の経路とやらの『統治体』は本当に罪深いですね。その宗教的権威をもって人間を(事実上)脅迫し、それだけでは飽きたらず人間はおろか神さまさえも利用することで陥れているのですから。そんな厚顔無恥な奴なクセに、その割には裁判沙汰は大嫌い、出廷も拒否したりしてますからね。まさに生きる恥晒し『塔恥態』といえるでしょうね。


我々は自由な民?真理は人を自由にする?

『どこがだよっ!』
ハァ?!(。`▼Д▼)y─┛ナメンナョォ?



、、、ということで、自由もクソもへったくれもないエホバの民のお話でした。『あれダメこれダメそれもダメ教』とでも名称変更した方がよろしいかと。あ、今や冊子も金欠病で発行できないし冊子協会も名前としてはふさわしくないでしょ。『奴隷ロボット大量生産工場』って名前でもいいかもね。┐(-。ー;)┌