写真 | われは河の子

われは河の子

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そんなにたくさんの美女写真。常にカメラを持ち歩いていたのですか?そして誰にシャッター押してもらったのですか?とよく訊かれます🤣


 確かに美女写真の多くは今から40年くらい前の物が多く、現在のように携帯やスマホで簡単に写真が撮れた時代ではないですからね。


 私は浪人して京都に行った1981年に初めてコダックのポケットカメラを買いました。


写真はお借りしました。


 その名の通り、胸ポケットに入るサイズの007が持つようなカメラで、使うフィルムは110(ワンテン)フィルムというカートリッジタイプで、カメラ屋、写真屋はもちろんキヨスクでも簡単に買うことができましたし、現像も普通の135ミリのフィルム同様に街の写真屋に出すことができました


フジカラーの110フィルム。写真はお借りしました。


 フィルムのサイズが小さいので画像が粗いのが欠点でしたが、専門的な写真にこだわらなければ、さほど困ることはありませんでした。

スナップ写真ならこれで十分でしたね。



これら予備校の寮の写真は皆そのポケットカメラで撮った物です。


 やがて大学に入って1回生2回生の頃はほとんどサークル、観光事業研究会(観研)の仲間たちとつるんで遊んでいましたし、その中には一眼レフの本格的なカメラを持っている人が何人もいたので、カメラ好きな彼らに撮影はお任せして、私はもっぱら美女と被写体を務めました。


 例えば伏見の旅籠「寺田屋」に行った時の写真では、私のポケットカメラの画像では、


 夜のこともあり、ストロボがついていないポケットカメラではこれが限界でしたが、


屋内では先輩の一眼レフでこんなに綺麗な写真が撮れました。

  ですから美女シリーズですが、美女と2人っきりだったことは案外と少ないのですよ🤣








 そしてさすがに物足りなくなって来て、3回生の時に京都駅八条口の駅ビルの中にあったカメラ屋さんで135ミリのコンパクトカメラを買いました。キャノンのオートボーイなどが流行った時代で、一眼レフに必要なピント合わせや露光補正が自動になり、重宝しました。








 つい美女の肩に手を廻したり、腕を組むのは昔からの私の癖ですが、先日柿月夜さんに『そんなスキンシップを取って、お相手は本気にしなかったのですか⁉️』と言われましたが、いつものことですし、私は人畜無害と思われていたのか?特に嫌がられることもなかったですね。

 若い頃からの人望のおかげだと思っています🤣