浪人時代 | われは河の子

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今朝の記事で一年間の浪人、予備校時代を楽しかったと書いたら、アービンさんや柿月夜さんから、辛いイメージあるけど、ドラマみたいで楽しかったのですか⁉️とのコメントをいただきました。


 はっきり言って楽しかったです🤣

 私が行った京都予備校は駿台予備校や近畿予備校といった当時一流と言われた予備校に比べると緩く、そこに通う受験生も京大や阪大を目指す一流受験生というわけでもなく全てにおいて緩かったのです。


 まず私が暮らした寮は、予備校の直営ではなく、民間に業務委託をした個人経営の賄い付きの寮で、私が入居した叡○荘は、京都市内から洛北大原を通って若狭に抜けるいにしえの鯖街道に面した八瀬の土地、叡電八瀬遊園駅からさらに大原方面に1キロほど上ったところにあった二階屋で、一階二階合わせて20人以上が入っていました。

 九頭竜弁天という小さな神社の(現在ではすごく立派に大きくなっています。)本当に隣りに立地していて、その神社の二の鳥居を潜って裏参道を通って行かなければ玄関に達しませんでした。


 目の前には鴨川の源流のひとつである高野川の清冽な流れがあり、1981年の夏にはまだそこで泳ぐことができました。

 さらに高野川の向こうには霊峰比叡山が聳えていました。周囲の山には猿がたくさん住んでおり、よく寮の洗濯干し場からシーツなどを奪って逃げたりしました。


 山を降りてもう少し北の鞍馬寄りの岩倉というところにも別の寮があり、確か滋賀県に近い山科の方にもあったと思いますからそれなりに予備校としても大きかったのでしょう。


 けど二流は二流です。その証拠に私は4月入学と同時に実施された校内模試の私立文系コースで4位を、さらに続けて行われた練習試験で2位になって氏名と卒業校名が張り出されました。

 『函館○○高校?そんなとっから来てる奴おるんか⁉️』そういった驚きの声が上がっていたのを思い出します。

 その時の1位を取ったのは女子で、その一風変わった中国系の名前を今でも覚えています。


 寮の仲間は自宅が一番近い人間でも、綾部市、福知山市、宮津市といった京都府下の連中で、その他は広く西日本(近畿以西全般)から来ており、そこからまずとんでもないカルチャーショックを受けました。

 言葉が通じないことはさまざまな非喜劇を生みました。


 今でこそ、テレビで関西のお笑い芸人が出ない日はないくらい関西弁も耳に馴染んでいますが、40年以上前はそうではありませんでした。

 私は吉本という会社も新喜劇という存在も知らなかったのです。


 しかも二階で仲良くなったのは、そんな純関西弁ではない、和歌山や富山や岡山や四国出身の奴らでしたから尚更です。


今朝紹介したこの写真の私の右に座っている長髪に口髭のツカサは和歌山県の富田林という山の中の町の出でしたし、


こちらの夕食の写真で中央でこちらを向いている茶色のウインドブレーカーを着たシオジは、同じ南紀の御坊市の出身で、二人ともザジズゼゾとダヂヅデドの発音に区別がありませんでした。

 よく「おいツカサ、動物園の像さんが雑巾掛けをした」って言ってみろとからかったものです🤣



夜中に腹が減って食堂に忍び込み、翌朝分の電子ジャーに保存してあったご飯を盗み喰いしたこともありました。

 何度も続いたら、住み込みの賄いのおばさんは、ジャーを自室に持ち込んで寝るようになりました🤣


 それでも高校を卒業したばかりの男どもが深夜まで勉強をしているわけですからやはり腹は減ります。

 私を含めた何人かが原付バイクを持っていましたので、そこから山を降りた修学院の吉野家までバイクを飛ばして牛丼を買いに行くこともしばしばありました。

 当然寒い中をバイクを出して買いに行く者の分は皆んなで負担しました。


 私の隣の部屋は静岡県の清水市出身のヒラオカ君でした。1月のある雪の降る夜、そろそろ寝ようかなと思っていたらドアにノックの音が聴こえました。

 何事ならん?と開けてみると、そのヒラオカと前述のシオジが立っていました。

「何だよ?今頃⁉️」

『なぁみんつち、雪だるまの作り方教えてくれへん?』

「バッカじゃないの?そんなもん、雪玉転がしたら勝手に大きくなるわ⁉️」

『それがやったことないんだからわからん‼️』

と、仲間の馬鹿馬鹿し過ぎる頼みに付き合って、深夜の外に出ると、黒々とした比叡山をバックに牡丹雪がしんしんと降り続いていました。

 雪玉を丸めて転がし、大きくして胴体を作り、続いて小さめの球を乗せて頭にします。

「どうだ、これで分かっただろう。俺は寒いからもう寝るぞ‼️」そう言い捨てて私は部屋に引き上げて寝てしまいました。


 翌朝自分で購読している新聞を取りに行ったついでに雪の模様を見に玄関の外に出てみると、何とそこには高さ1メートルほどのでっかい雪だるまが鎮座していました。

 後ほど訊いてみると、二人は雪の降る深夜の鯖街道をバス停二つ分くらい歩いて行き、そこから緩やかなくだりになった道路を雪玉を転がしながら歩いて来て、馬鹿デカい雪だるまをこしらえたそうです⛄️


 このほかにも寮時代のエピソードは余るほどもありますね。


う〜ん、どう考えても青春ドラマそのものみたいでしたねぇ🤣