この1年 | われは河の子

われは河の子

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今年もあと数時間で終わり。


 去年の今頃は、その3日前に人生初の金髪にして、いい年こいたオッサンが(当時61歳)、こんな派手なことしていいのだろうか?と、思っていたら、それからわずか3日後の夜が明けきらぬうちにてんかんの重積発作を起こして(本人は意識不明だったから記憶にないけど)、救急車で、脳出血でもSCSでもお世話になったA脳神経外科に搬送されました。


 その際に嘔吐した物を飲み込んで誤嚥性肺炎を併発し、一時は生命の危機さえあったようですが、その後3月に石狩市のH病院へのリハビリ転院も含めて5月のゴールデン・ウィーク明けまで入院してしまいました。


 さらには退院後わずか1ヶ月でコロナに罹患、先の肺炎とのダブルパンチで、半年以上呼吸器がやられた状態でした。

 その後秋の10月から11月にかけて再びA脳外科にリハビリ入院したと思ったら、年末にかけて肘と手首の故障と、脳出血発症以来、健康面では最低最悪の年になりました。


 とはいえ、1月3日には意識不明で、高齢者だったら心臓が止まっていたかも知れないと言われたくらいだったらしい私がこうして無事に年の瀬を迎えられたのは、相変わらずの「生命(いのち)根性(こんじょ)の汚さ」と、悪運の強さだと実感しております。


 現実に、この半年間の入院中にも不思議な引き寄せの法則によって偶然が重なり、30年前の函館のみこしチーム「元祖赤ふん」の仲間で、その後からずっと行方不明だった千里と連絡が取れたかと思ったら、


右端が30年前の私。左端が千里。中央はリーダーのケン。


 そのわずか3日後には40年前の京都での大学時代のK女子短大に在籍していたかもっちゃんを通じて、当時ずっと好きだったヤッコと、その妹分だったヨーコちゃんとも連絡がつきましたし、


 私を挟んで左からかもっちゃん、ヤッコ、ヨーコちゃん。


 さらには小学校の時の初恋の女性みっちゃんともLINEが繋がるなどの幸運に恵まれました。


今年現在のみっちゃん。


 このほかにも、2度のオフ会を通じて、かねてより仲間だったブロ友であり、片麻痺当事者会の面々とお会いすることもできましたし、

 8月には念願の札幌市社会福祉協議会登録の障害当事者講師として講演活動デビューも果たすことができました。


車椅子姿で講演する私。


 そして今、3年ぶりに短編小説「臓腑の流儀」の続々編を完成しつつあり、半年以上も病に臥せっていた割には充実していた年だったとも言えます。


 そしてなにより、このブログを通じての新しい出会いや今までずっと応援してくださって来たブロ友さんのおかげで楽しく1年を過ごすことができました。


 来年はともかく健康面に留意しながら、干し草の山から針を探すような確率ではありますが、北大病院で実施される世界初の脳出血慢性期患者の自家幹細胞による再生医療治験に選ばれることに期待しつつ、自己のリハビリにもより力を入れて行きたいと思っておりますし、

 今回でまた少し自信がついた小説執筆にも力を注ぎたいと思います。

 春までには約束していたみぃとさんのためにも切り絵も復活させねばなりません。

 今からワクワクが止みません。

 今年も本当にありがとうございました。

 来たる年もどうぞよろしくお願い申し上げます

           河童拝