続々 臓腑(はらわた)の流儀 龍の鱗 ⑤ | われは河の子

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翌日の日曜日は、それまでの数日の好天とは異なり、朝から黒く低い雲が垂れ込め、強い北からの風がこの港町に吹き込んでいた。


 朝9時、港と駅に近い「ホテル迫館ポートプラザ」のフロントに、白麻のスーツを着こなした、よく肥えた男性客の姿があった。

 「チェックアウトを。」

「はい、少々お待ちください。今日はあいにくの天気ですが、お帰りですか?」

「急用ができてね。風が強いようだが飛行機は飛ぶだろう?レンタカーも返さなきゃならないし。」

「お待たせいたしました。またのご利用をお待ちしております。」

 フロント係りからプリントアウトされた領収書を受け取った男の元にフロント奥のオフィスルームから出て来たフロント・マネージャーが声をかけた。


「高倉様おはようございます。急なお発ちなんですね?まことに恐れ入りますが、少々こちらにおいでくださいませ。」

「なんだ?急ぐんだが。」

 訝しげな高倉にマネージャーは

「はい。ご利用に対しまして、当ホテルのオーナーがご挨拶いたしたいとのことでございます。お時間は取らせません。」

 そう言って、オフィスルーム奥の応接室に彼を誘った。


 東京のブローカー、高倉が応接室の三人掛けのソファに腰を下ろしてしばらくすると、同じ2階フロアにあるレストランから、制服を着たウェイトレスがコーヒーを運んで来た。

 

 「まだかい?悠長にコーヒーを飲んでる時間が惜しいんだが…」

「申し訳ございません。まもなく参るかと思いますので…」

 彼女にそう言われて仕方なくカップを口にした。香り立つコーヒーだった。


 ノックが響き、先ほどのマネージャーが誰かの先に立って部屋に入って来た。

 「お待たせいたしました。当ホテルのオーナーでございます。」


 続いてドアを開けて入ってきた数人の人物を見て高倉は仰天した。


 「おはようございます、高倉さん。困りますな帰られては。面会のお約束は確か明日のはずだったが!」


 入って来たのは加賀谷圭介と妻の美樹、そしてその後ろから今時珍しいジーンズにサファリジャケットを着た年頃は圭介と同年輩だが,引き締まった身体つきで若々しく見える精悍な男と、やはり同年輩に見えるが、こちらは濃紺のダークスーツを隙なく着こなした実直そうな男性が続いて入室した。


 思わず腰を浮かせかけた高倉に圭介は

「まぁ座りなさい高倉さん。改めて説明すると、このホテルは我が加賀谷組土木建設の持ち物だ。つまりこの私がオーナーということになる。調査不足だったかな…」

「な、何を…」

「ああ、それからこれは私の古い知り合いで

水島孝一郎という。この街で探偵をやっている。」

「探偵‼︎」

「そうびくつく必要はないんじゃないか?やましいところがないのならな?」

 そう言うと圭介は孝一郎を振り返った。

「後は任す。」


 「おはようございます。高倉さんですね。

 ただいまご紹介いただきました水島孝一郎と申します。昨日加賀谷夫妻から話は伺いました。

 しかし今彼が言ったように少々チェックアウトがお早いんじゃないですかな?少なくとも最低もう一泊しないと、明日の彼との商談に差し障るのではないかと思いますが…、なにしろ貴方にとっては一生の夢だった龍鱗岩が手に入る約束なんですから。」

「よ、予定外の資金の動きがあるんです!いつまでもこんな立派なホテルに泊まってはいられない。私だって大金を払うんだ。もっと安い宿に移るつもりだった…。」

「なるほどさすがによく回る頭と口だ。もしかしたらその安い宿というのは、小西とかいうアンタの相棒が泊まっている、フェリーターミナルそばの「汽笛」というビジネスホテルのことですかな?」

「ええっ⁉︎」

 高倉は絶句した。


 「ああ、それからこちらもご紹介しておきましょう。迫館地方検察庁の後藤賢太郎検事です。」

 紹介された男は軽く一礼した。


 「け、検事…。」


 「本来ならば、こうして検事を紹介する役目は補佐官とも言える検察事務官の仕事だそうだが、あいにく今日は日曜だ。後藤検事には個人的なよしみでわざわざ出て来てもらった。

 だから紹介という栄誉に浴することもできた。

 ただ、検事は警察官とは違って手帳がないそうだ。その代わり、この襟元のバッジが証明になる。秋霜烈日章(しゅうそうれつじつしょう)という。」


孝一郎に言われて後藤検事は親指で背広の襟を裏から持ち上げた。

 菊花と菊の葉の中に旭日という検事バッジが輝いていた。

「もっとも、詐欺師のアンタなら先刻ご承知だったかな?」

 言われて高倉はドサリとソファに腰を落とした。


「し、証拠はあるのか?私は加賀谷社長と商売上の取引をしようとしただけだ…詐欺だなんて証拠もなしに!」

「おうおう、往生際の悪い奴だなぁ⁉︎じゃあ加賀谷夫人、その証拠とやらをこの人に突きつけてやってくれ。」

 美樹はそう言われてハンドバッグからICレコーダーを取り出して、高倉の前のガラステーブルの上のコーヒーカップの隣りに置いて再生ボタンを押した。

 孝一郎の開業パーティの事件の時に孝一郎から預かったままになっていた物であった。


 『実は昨日はあの龍鱗岩を見つけたことで興奮してご説明が足りませんでしたが…』

 昨日の高倉の声が流れ出す。

『実は龍鱗岩はそもそもその存在が希少なだけではなく、その中に希少元素である無水ケイ素を大量に含んでいるという特性がございます。』


 そこまでで、孝一郎は自ら手を伸ばして再生を止めた。


 「無水ケイ素と来たか…?龍鱗岩はともかく、自然界ではほぼ全ての岩石に含まれる長石類に次いで、無水ケイ素は圧倒的に産出量が多いはずだが、それを踏まえた上で、相棒の小西が龍鱗岩を300万円で買い取らせ、お前は加賀谷社長から千五百万円で買い取るという話でその気にさせて、小西が金を受け取る前に高飛びしようという計画だ。小西に金を払った圭介がいつまで待ってもお前は姿を現わさない。

 不審に思った圭介がこのホテルを訪ねて来てもお前はすでにチェックアウト済みだ。慌てて名刺に書かれた電話に掛けてももう繋がることはないし、東京の住所もデタラメだ。おそらく高倉悟雄という名前も偽名だろう?これだから詐欺と言うんだよ!

 後藤検事、これは証拠して採用されないかな?」

「ああ、判決を下すのは裁判員と裁判官だが、少なくとも検察としてはこれだけの録音と状況証拠があれば、立件・起訴することは可能だと思う。」

「証拠物件の龍鱗岩は今現在も加賀谷宅前に安置してあるしな?」

 それを聞いた高倉はがっくりとうなだれた。


「ジ・エンドだな。」

 孝一郎はそう言うと窓越しに雨粒の落ちて来た空を見上げた。

 黒雲が風に煽られてものすごい勢いで南へと流れていた。


   最終回に続く