続々 臓腑(はらわた)の流儀 龍の鱗 最終回 | われは河の子

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 「乾杯!」

 笑顔と共にガラスが鳴った。


 迫館市本町のクラブ「アンバサダー」。いつものカウンターの席ではなく、目立たぬ角のボックス席に圭介と孝一郎、そして後藤検事が座っていた。

 後藤はいつぞやの事件以来、若勝町の湊町横丁のスナック「朋」の方を贔屓にしていて、このアンバサダーに足を運ぶのは初めてであったが、圭介とミッキィの強い勧めで、割り勘を条件にようやくその重い腰を柔らかなビロード地の席に落ち着けたのであった。


 「いや、さすがに高級だな。」

「後藤さん、そんなことをおっしゃらずに、これからもよろしくお願いしますね。」

「あなたたちは知らないだろうけど、検事といえども公務員だ。定年間近の公務員の給与なんて知れている。こんな高そうな店にはそうそう通っては来られませんよ。」

 そう言って笑う後藤に、孝一郎が、


「そういえばゴトケン、というよりゴト検だ。君は定年後はどうする気だ?やっぱり弁護士を開業する計画なのか?」

「そうだなぁ。まぁお決まりと言ってしまえばそれまでだが、この年で独身で家族もいないし、まだまだ元気なつもりだ。何か働かないとたちまちボケてしまいそうで怖い。」

「いいですな。ぜひ我が社の顧問弁護士をお願いしたい。今の先生は高齢な上にイマイチ頼りない。後藤さんなら渡りに船だ。」

「本当ですわ。こうして今回もお世話になっちゃって。どれほど助かったかわかりません。これからもぜひよろしくお願いしますわ。」

 そう言って頭を下げたミッキィは、今朝のカジュアルな格好から一転して、薄桃色の付け下げに身を包んでいた。


 「まったく、今回はどれほどお礼を言っても済むものではない。昨日孝一郎に段取りを聞いた時には驚いた。まさか、昨日のうちに検事さんに連絡をつけておいて、今日の朝8時から待機してもらうなんて芸当は孝一郎にしかできない荒業だもんな。」

 圭介も赤い顔をほてらせて、グラスを掲げる。

 今日はいつもの冷めた夫婦ではないようである。


「ところで孝一郎よ、さっきも家に帰ってからコイツと話し合ったんだが…。」

 圭介はミッキィを顎で指し示しながら続けて、

「あの高倉にはきつくお灸を据えてやったが、あのまま帰してやってよかったのか?やっぱり逮捕すべきじゃなかったのか?」

「ああ、そのことなんだが、あそこはああするしかなかったんだ。」

「???」

 圭介もミッキィも頭をひねる。

 水割りのグラスを置いた後藤が孝一郎の後を引き継いだ。


「ご存知ないかも知れませんが、実は私たち検事にも逮捕権はあります。

 しかし、それは裁判官から逮捕状の発行を受けてからの執行ということとなります。ああいや、もちろん現行犯逮捕に関してはその限りではありません。

 いざとなれば、かつて水島君が行った私人逮捕という権利も刑事訴訟法で認められています。」

「そうよ。私たちもあの時の、孝ちゃんが塚田シンジを投げ飛ばして逮捕した時のことを思い出していたの。あの時のように捕まえちまえばよかったんじゃないのかってね。」

 

「しかしそれもあくまで現行犯の場合に限ります。今回の件はそもそも現行犯にはなりません。」

「どういうことなのでしょう?」

「あの時点ではまだ犯罪は行われていないのです。加賀谷社長は話は持ちかけられてはおりましたが、まだ小西に金を支払ってはおりません。

 金銭的な被害という罪体自体が発生していないのです。

 ですからあの時点においてはあくまで未遂事件ということなのです。」


「まぁあれだけの絵を描いて来た連中だ。主犯の高倉はおそらく叩けば余罪は山ほどあるに違いない…。」

「しかし、そこを追求するのは迫館地検の役割りではないし、道警迫館方面本部の仕事でもない。おそらく警視庁捜査2課に預けなければならない案件になると思います。まぁこの先も奴が手口を重ねるならば、放っては置けない。その場合、奴の首根っこを押さえていることにはなるし、なにしろ今回は加賀谷社長を未然に被害から救うことが目的だったのでこれで幕引きにしようと昨日水島と打ち合わせたのです。」


 後藤検事の説明に圭介は溜息をついた。

「なるほど、そうだったんですか…。こりゃあ恐れ入ったな。」

「ところで孝ちゃん、相変わらずの名探偵ぶりだけど、貴方どうして私から話を聞いただけでアイツらが詐欺師だと気がついたのよ?そろそろそのカラクリを説明してくれてもいいんじゃない?

 アタシもケースケもそれを知りたくてウズウズしてんだけどな?」

 ミッキィにそう言われて孝一郎は改めて濃いウイスキーで口を湿らせると、


「アメリカの教育心理学者でキャリア理論のジョン・クルンボルツはその偶発性学習理論の中で、『キャリアの80%は偶然の出来事によって支配されている。その人の偶然の出来事の80%はそれまでの行いによって支配されている。』と述べているんだ。

 まずは今回小西と高倉の出現が偶然過ぎた。

 これはケースケの今までの行いの80%が呼び寄せた事なんだ。

 つまり詐欺師のカモになる要素ということになる。


 あの高倉と称する男がどこでお前の噂を聞きつけたのかは知らん。しかし大方強欲で豪腕の田舎土建屋という程度の評価だったと思う。そしておそらく迫館の下見程度はしていたと思う。いかにも田舎の金持ちらしい日本庭園付きの家と会社経営手腕。ただしお前がポートプラザのオーナーだったことを見逃して、自分に箔を付けるためにそこに泊まったのが奴の誤算だったわけだ。」

 圭介の顔色は赤くなったり青くなったりしていたが、ミッキィにとってはそれも面白い見ものだった。


 「そこで先ずは運び役の小西の登場となる。

 ああ、それからな、龍鱗岩なんてデマカセをさもご大層に善意の第三者たる田舎紳士に吹き込んだようだが、あれは単なる玄武岩柱状節理だ。

確かに山口県には龍鱗郷というこの岩が並んでいる地質を持つ土地はあるが、中国雲南省にしか存在しないなんて嘘っぱちだ。だいたい、この近くの絵山を望む三浦海岸にも同じような柱状節理はいくらでもある。もっともこちらのは安山岩だったはずだが…。」

「そんな、知らなかった…。」

 「知らなければ、知らないことにすればいいのに、バカ丁寧な詐欺師特有の口調に乗せられて知ったかぶりをするからつけ込まれる。確か学はないが経験はあるなんてことも言っていたんだよなぁ⁉︎」

 圭介はすっかり酔いの醒めた顔でボックスシートの中で小さくなっていた。


 「あとは向こうの筋書き通りに、欲に長けたお前が善意の助け船を出すって訳だ。 高倉が一千万のみならず、さらに五百万出そうと何気に切り出したのをお前が逃すはずがない。

 しかしそのお前が、その五百万を餌に小西を釣ろうとするのではなく、まさか出しても三百とピンハネしようとは詐欺師の方が驚いたかもしれん。」

「お前はそこまで見越していたのか…?」


「ミッキィから龍鱗岩とやらの写真を見せられた時に怪しいとは思ったが、昨日お前からその後の経緯を電話で聞いて間違いないと思った。それで連休なのを幸いにやもめの検事様に相談して今朝の段取りを付けるとともに、フェリーターミナル近くの大型車両が停められるビジネスホテルを当たってみると一軒目の「汽笛」でビンゴだった。

 秋田ナンバーの4トンユニックを発見したんだ。

 小西は明日お前から金を受け取る役割もあるから、まだ動くわけには行かなかったのだ。

 まぁ今頃は高倉にそそのかされてトンズラを決め込んでいるはずだがね。

 それからな、駐車場で調べてみたが、トラックはわざと砂や泥を擦って汚したようだったが、なまはげ運輸という社名はステンシルでにわか仕立てで刷り上げたものだ。おそらく秋田県内でレンタカーを加工してわざわざ持って来たんだろう?詐欺師というのは計画と準備に万端を置くものだ。」


「いや、感服した。さすがは孝一郎、わがクラスのヒーローだ!ヒーローといえば後藤さんも同じくヒーローだ。そうだ、やかましい検事さんは金品は受け取ってくれないからこういうお礼をしよう、おおい塩田君!」

 圭介は静かなBGMを弾いていたピアニストを呼んだ。塩田はすぐと彼らの席にやって来た。

「はい。お呼びでしょうか社長?」

「おお、コイツらのな、中央高校の校歌をリクエストする。景気よく演ってくれ!」

 やがて塩田が演奏を始めると孝一郎と後藤は肩を組んで唱和し出した。

 アンバサダーでは、ママの美樹のアイディアで、迫館市内の私立公立を問わず、すべての中学、高校、大学の校歌の楽譜を揃えて塩田に管理させている。彼女はアンバサダーに初客があると卒業校を確認し、迫館市内にそれがある場合にはサービスとして一曲塩谷に弾かせることにしていた。彼女なりの商売感覚は顧客をつかむのに長けていた。

 中央高校の校歌が終わると、塩田は何も言われずに今度は違う音符をラックから取り出すと軽やかに弾き始めた。孝一郎、圭介、ミッキィたちの市立柳野中学校の校歌だった。今度は3人が肩を組み歌い出し、後藤は手拍子で応援した。


 曲が終わって全員が再び腰を下ろした。ミッキィが新しい飲み物を作る。


 「なぁケースケ、さっきのキャリアの話なんだが…」

 孝一郎は渇いた喉を潤すようにウイスキーを含んでからおもむろに言った。


「キャリアという英語はcareerと綴れば経歴、職業という意味になる。高倉は表向きはブローカーというキャリアを装っていたが裏の顔は詐欺師だった。


 俺とゴトケンは同じ中央高校卒の同期だが、彼は現役で東大に入って、在学中に司法試験に合格して検事になって間もなく定年を迎えようという堂々たるキャリアを誇っている。

 同じ高校を出ても俺は京都の私立大学を出てその後アメリカに渡り、今はこうしてまた彼と同じ場所にいる。」


「おれは高卒で親父の会社の土木作業員として採用されて力仕事に明け暮れた。そして親父の死後にこの会社を受け継いで社長になり、同級生だったミッキィと結婚したって訳だ。」

「そうた。しかし、そんな我々が今日同じこの場にいるのは80%は偶然のもたらしたことなんだ。」

「なるほどわかる気がする。」

 

「それからな、同じくキャリアでもcarrierと綴ると運ぶもの、運搬という意味になる。

 当然4トンユニック車もキャリアなら、運び役の小西もキャリアだったんだよ。」

「それも80%の偶然だったというわけか?」


 圭介はガハハと笑った。彼に豪傑笑いがよみがえった。

 

            完

続々 臓腑(はらわた)の流儀 龍の鱗            ©️松島花山 2023年


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