続々 臓腑(はらわた)の流儀 龍の鱗 ② | われは河の子

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 美樹と圭介が居間のソファに腰を下ろしたかと思う間もなく再びドアホンが軽快な音を響かせて美樹を驚かせた。

「まぁ、またあの人戻って来たのかしら?」

「まだ何かあるのかな?いいや俺が出る」

 今度は圭介がドアホンに応える。

 しかし丸い魚眼レンズの映像の中に映っていたのは先ほどの侘しい作業服姿の男とは異なり、この街では珍しい白麻のスーツに身を包んだ恰幅のいい紳士だった。

「失礼します、ご主人様でいらっしゃいますでしょうか?」

「そうですが何か?」

「突然で申し訳ございません。先ほど玄関前に運び込まれた庭石はこちら様がお求めになったものでしょうか?」

 男はいきなりそんなことを言って来た。

 「いや、ウチは一晩預かっただけだがそれが何か?」

 「ああそれは困ったな…」

 男の声が曇る。

 「何だ、ちょっと待ちなさい、今そっちに行く。」

 圭介は舌打ちをすると玄関の方に向かった。

 美樹もちらりと自分のシャネルの腕時計に眼を落としてから彼の後を追った。


 玄関で待ち構えていたのは先ほどの小西という運転手とは対照的に太って血色がよく福々しいとさえ言ってもいい男だった。

 なにより額の真ん中にある大きなイボのせいで仏像のようにも見えた。

 白い麻のスーツを着こなし、派手な縞模様のネクタイを締めている。しかし紅く日に焼けた首回りをしきりにハンカチで拭っている。

 この男も2人が玄関先に出るとハンカチをパンツの尻ポケットにしまってから深々と一礼した。

「失礼いたします。私、東京で高倉物産いう会社を経営致しておりますタククラゴユウと申します。不躾に参上して大変申し訳ございません。」

 男はそう言うと、背広の内ポケットから茶皮の名刺入れを取り出して中から一枚を抜いて圭介に渡した。

 今度は圭介もそれを恭しく受け取って眼を落とした。

 高倉悟雄とある。

「ちょっとお待ちください。」

 圭介はそう言うと一度家の中に戻りすぐに自分の名刺入れを取って来た。

「私はこの街で加賀谷組という土建業をやっている加賀谷圭介です。」

 明らかに先ほどの運転手に対する態度とは違う。圭介はすでにビジネスモードに入っている。

 美樹はそう感じた。


 「何やらこの庭石についてのお尋ねのようでしたが?」

 圭介の質問に、高倉はあくまで低姿勢を崩さず、

「はい、実はこの岩をお譲りいただけないかと思いまして、ずっとあのトラックの後を追って来たのです。

 そうしたら先ほど御宅様の玄関前に下されましたので、大変失礼ながらお声掛けさせて頂いた次第でごさいまして…」

 そう言いながら、高倉は再びハンカチを取り出して首筋の汗を拭う。なるほど圭介がゴルフ日和だったが、1日で日焼けしたとこぼしていたのを思い出したし、あと数日で夏至が来ることにも美樹は気がついた。

「先ほども申しましたが、これは預かり物です。 つい貴方が見える数分前に、トラックの運転手が来て、車の故障で札幌まで運べなくなったそうなので、一晩でいいからこの場所に置かせて欲しいということだった。

 まぁエンストしかねないトラックで電車通りを行く訳には行かないだろうし、幸いここは一本中に入っただけで車通りは少ないし、ここにはこうしてささやかながら日本庭園もある。私としてもまんざらでもない気分なんだが、失礼ながら貴方は何でこの岩にご執心なのですか?ひとつその訳をお聞かせいただきたいのですが…」

 「はい。ごもっともでございます。実は私はまぁバイヤーと言いますか、ブローカーと言いますか、言葉は汚いですが売れる物なら何でも取り扱う一方で、岩石のコレクターでもあるのです。

 たまたま今日、こちらの湯の倉温泉を訪れまして、海を眺める展望温泉を頂きましてから、付近をレンタカーで流しておりますと、廃墟になった大型ホテルからあの岩が搬出されるのに偶然行き合わせたのです。」

 「あそこは海峡館と言って、湯の倉温泉街の中でも老舗だった。

 確か創業は大正時代だったかな?私が子ども自分に大きなビルを建てて、バブルの頃までは湯の倉を象徴する一軒だったんだが、バブル崩壊とリーマンショック以降の設備投資に失敗したのと、この街の行く末を読み間違って、もう倒産してずいぶんなります。

 ずっと荒れ放題で、地元では幽霊ホテルなどと芳しくないあだ名も付きまして、一時は私も地上げして入手しようと考えたこともありましたが、地権者が細かく分散している上に今言ったように元々大正時代から開けた土地なので、地権者の子孫がどこにいるのかわからず、その上にオーナーが夜逃げしてしまったものだから、どうにもならないと思っていた。今思うと手を出さなくてよかったと思いますが、それでもどうやらこうして売却が決まったようで、私が知らなかったとはいえそれはよかったと思います。」

 圭介の説明には如何にもこの街の地元デベロッパーの誇りの一端が窺えるようで、それが美樹には面映かった。田舎の土建屋が、たかがブローカーと見ているのだろうが相手は東京の人間だ。自ずと格が違うと美樹は思った。

 だいたい圭介にしろ還暦近い年齢と、地元ではぶいぶい言わせている貫禄はそれなりにあるとは思うが、目の前の高倉と名乗る男の福々しさには到底太刀打ちできないとも感じるのであった。


 「なるほど、さすが社長、よくわかりました。

 それでここからは私の専門分野なのですが、」と、高倉は改めて右手でゴツゴツした岩塊を示した。

「これも何かのご縁ですので、加賀谷社長をひとかどのお方と見て申し上げますが、実はここだけの話、この岩は龍鱗岩、りゅうりんがんと申しまして、中国の雲南省でのみ産出される希少岩石でございます。

 ほら、この多角形を積み上げたような眺めが

山肌に露出しているところを遠くから見ると、さながら龍の肌に見える所から彼の地でそう名付けられました。古くは杜甫、李白も漢詩に歌っているくらいの景観だそうです。

 現在では中国政府が天然記念物に指定して採掘並びに輸出を禁止しておりますから、こうして今国内に存在する龍鱗岩はほとんどが戦前、それも日清戦争から義和団事件、そして日中戦争までの、日本が中国に対して優位性を保持していた時代に掘られ運ばれた物と考えられておりますが、これも只今の加賀谷社長のお話の通り、湯の倉温泉が大正時代から開け栄えたとすると、時代的にも一致しますなぁ」

 高倉は自分で解説しながら勘に堪えたように呟いた。

 「それで社長、改めてお願いですが、私にこの龍鱗岩を一千万円でお譲りいただく訳には参りませんでしょうか?」

 そう言うや高倉はがばとその場に平伏した。

 これには美樹も圭介も仰天した。

   

         続く