スサノオと河童と瓜 その2 | われは河の子

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キュウリはお好きですか?

あ、写真をお借りした友達のカッパのコタロウはキュウリが嫌いです。
それを知っているカパル先輩のやっていることは単なるイジメですが…


ところで、クイズ番組などで『武士が食べなかった野菜は何でしょう?』という問題が出ることがあります。

答えはキュウリなんですね。

キュウリの断面が、徳川家の三つ葉葵の紋章に似ているので、それをはばかったなどといわれますが、

とんだコジツケです。
別に武士は御家人(徳川家の武士)だけではありません。


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キュウリの輪切りに似てますか?

似ているのはこちら、

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木瓜紋の一種である「五瓜に唐花」です。

木瓜(もっこう)とは、そもそも瓜を輪切りにした意匠とか、鳥の巣をデザインしたものなどといわれ、織田信長や沖田総司なども木瓜紋の一種を家紋としています。
あ、女陰を表すともいわれます。
昨日も書いたように、そもそも瓜が女陰の象徴なので、これもありですね。
いずれにせよ子孫繁栄の意味が込められています。

が、
裏の意味ももちろんあります。

これは以前書いたことがありますが、木瓜とは「ボケ」と読む習わしですが、
そのまま音読みすれば「キウリ」となります。

そして、木瓜紋はスサノオを祭る祇園社こと全国の八坂神社の神紋でもあります。

昔から京都人は、祇園祭の期間中はキュウリを食べることを禁忌として来ました。

そして、キュウリといえばやはりカッパの好物として知られます。

というよりも、実はカッパはキュウリしか食べさせてもらえなかったといえるのです。


今でこそ品種改良されて、一年中美味しく食べられるキュウリですが、
実は食用として一般化したのは幕末の品種改良を経た明治・大正期からで、
それまで完熟して黄色くなった物を食していましたが、甘味が乏しいばかりでなく甚だ不味いものでした。

黄門様こと水戸光圀に至っては、
「毒多くして能無し 植えるべからず食べるべからず」と酷評しています。
要するにまっとうなニンゲンの食べるものではなかったのです。

河童と呼ばれた虐げられた階級は、せいぜいキュウリしか食べられなかったのです。

そして、ここで武士が食べなかった理由に戻りますが、実はキュウリは子孫繁栄どころかお家断絶を示唆するんですね。

キュウリや瓜の仲間は、単為結果(たんいけっか)という現象を持ちます。
雄花と雌花による受粉がなくとも実をつけるんです。
しかし、その結果として種が育たないんですね。
キュウリの種って透明でフニャフニャですよね。
やはり単為結果のバナナにいたっては種そのものがありません。
(薬を使って人工的に単為結果をおこなったものに温州みかんや種なしブドウ、種なしスイカなどがあります)

種なし、すなわち子孫を残すことができなくては、お家大事の武士は食べることができません。

かたや桃太郎の生みの親である桃には大きな種があります。
そもそも桃太郎の存在するスペースはないんですね。
このことから、桃太郎より瓜子姫の物語の方が古いと考察されます。

この桃太郎と瓜子姫の関係性は、わが国の民俗学の始祖ともいえる柳田國男がすでに昭和のはじめに論じていました。

「桃太郎の誕生   」「瓜子織姫 」ともに昭和5年


スサノオにも子孫を残してほしくなかったのです。
スサノオはアマテラスとの間の誓約(うけひ)によって五男三女神をもうけます。
その中には、天孫降臨して日本の土地に降り立ったニニギノノミコトの父に当たるオシホミミもおりますし、あの丹生都比売(にうつひめ)神社の第四殿に祀られている市杵島比売(イチキシマヒメ)もおります。

しかし、これがスサノオと同体とされる牛頭天王(ごずてんのう)の八人の子という立場になると、それは八王子と呼ばれた凶神になります。
この神々は人の運命を左右する祟り神なのです。
それを抑える信仰が八王子権現信仰で、東京都下の八王子はこの名にちなむ地名です。

もちろん、まつろわぬ民であり、朝廷が土地や鉱山を奪った山の民=河童にも、できるだけ子孫を残してほしくなかったのですね。


キュウリには子孫の断絶を意味する裏のモチーフがあったといえるでしょう。


木瓜紋はバリエーションが多く、日本の五大紋のひとつにあげられますので、
家の紋がこの系統だという方は数限りなくいらっしゃいます。

けど、織田信長、朝倉義景、沖田総司、樋口一葉、円谷幸吉、大場政夫、坂本九、ナンシー関なども木瓜紋だったことを思うと、あまりいい死に方をしていないことに気持ちが行ってしまいます。
(まぁどんな紋だって、非業の死を遂げた方はいらっしゃるでしょうけどね)