丹生都比売神社と瓜子姫 | われは河の子

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先日のブラタモリのテーマは高野山。
それをご覧になったききるさんが、その中の「丹」について強い興味をひかれたようなので、
3年前の出張の際に訪れた、丹生都比売神社について私が書いた記事をご紹介しました。

ききるさんはその記事をリブログしてくださったのですが、


ききるさんの記事に対するコメントの中で、CHIYOGAMIさんが、
『瓜子姫と天邪鬼』のエピソードと何か関係がありますか?という内容を寄せられていました。

千代紙さんは目がご不自由で読み上げ式携帯からこの記事を読まれたそうです。

実際に、私の元記事にも、ききるさんの記事にも、瓜という文字は出てこないのですが、
これは何かのインスピレーションだったのでしょうか?

ちょっと思った事、感じた事を書いてみたいと思います。


瓜子姫は、日本の昔話のひとつです。
桃太郎と同様に、川を流れてきた瓜から生まれた少女を主人公とする異常出生譚です。
瓜から生まれましたが、川を流れてきた河の子でもあります。
すなわち河童ですね。

この子は瓜子姫と名付けられ、機織りの上手な美しい少女に育ちます。

おじいさんおばあさんの留守中に、天邪鬼の誘いにのってしまい、柿の木に吊るされて、天邪鬼が瓜子姫にすり替わり、姫に変わって嫁入りを企だてます。

しかし、この後のストーリーは西日本と東日本では大きく異なります。

西日本では、その様子を見たカラスがいきさつを知らせることで、天邪鬼は退治され、姫は救われて無事に嫁入りを果たしますが、

東北をはじめとする東日本では、姫は木から落とされて死んでしまい、天邪鬼は少女の顔の皮を剥いで自分の顔に貼り付けて、瓜子姫になりすますという怖ろしい話になります。

結果的には、その顔の皮が剥がれて正体を現したことで、やはり天邪鬼は退治されます。

その天邪鬼の死体が埋められた近くから生えたのが蕎麦で、蕎麦の茎の根元が赤いのは、天邪鬼の血の色であるというように終わります。

他にも、天邪鬼はバラバラに斬った瓜子姫の肉をおじいさんおばあさんに食べさすなどと、相当に血生臭いストーリーもあるようですし、
千代紙さんが思い出した、虹を消すことができたら天邪鬼と遊んであげるといった姫の言葉で、空に虹が架かると、天邪鬼がやって来て大急ぎで虹を消しはじめるなどというパターンもあるようです。


一見、この民話と先に上げた丹生都比売神社との間には、何の関係もなさそうですが、

丹生都比売神社の御祭神である丹生都比売は、天照大神の妹神である稚日女命(わかひるめのみこと)ですが、
この稚日女(わかひるめ)こそが、高天原で機織りをしていた娘であり、屋根の上から皮を逆剥ぎにした馬を落とされて、驚きのあまり死んでしまう女神です。

機織り、皮を剥ぐ、落とす、死ぬ というキーワードは瓜子姫と一致します。

当然、その暴挙を仕掛けたスサノオこそが天邪鬼に比定される存在です。

この暴挙によってスサノオは高天原を追放されますが、
流浪の果てに飢えたスサノオに食べ物を与えたのがオオゲツヒメ(大宜津比売)です。
様々な食べ物を出してスサノオをもてなしますが、それがどこから出てくるのか訝しんだスサノオがオオゲツヒメの様子を隠れて窺うと、オオゲツヒメは口や鼻や、果ては尻から出た食べ物を調理してスサノオに出していたことがわかります。

スサノオは、そんな不浄な物を自分に食べさせた事に怒りオオゲツヒメを殺します。
そのオオゲツヒメの死体の頭から蚕が、目から稲が、耳から粟が、さらに耳から小豆、陰部から麦、尻から大豆が産まれます。

これは古事記の記述で、日本書紀では同様のエピソードが、スサノオの(影の薄い)兄であるツクヨミとウケモチの物語として残されています。

殺された神の死体から食べ物が生じるという食物起源は、広くアジア世界にみられるハイヌウェレ神話の系統ですが、
先の瓜子姫と天邪鬼の物語りで、天邪鬼の死体から蕎麦が生じた事につながります。

そして、このオオゲツヒメも大食都比売として、丹生都比売神社の第三殿の祭神として祭られているのです。

この神社はスサノオ包囲網でもあるといえるのです。

元記事で、水銀の鉱脈に恵まれたこの地を借り受けたと称して、実は奪ったのが空海ではないか?
そのストーリーを糊塗して、祟りをなさないでもらうために置かれたのが、アマテラス系の丹生都比売(にうつひめ)ではないのか?と考えました。

しかし、アマテラス系の前に、そもそもそこを支配していたのは、天邪鬼と貶められたスサノオ系の山人たちだったのかもしれません。

千代紙さんによると、天邪鬼は虹が架かると慌ててそれを消すのだそうです。
虹の根元には宝が埋まっているとよくいわれます。
天邪鬼ことスサノオは、埋まっている宝をこれ以上盗られたくないために、必死に虹を消そうとしたのかもしれませんね。


千代紙さんの得たインスピレーションが、不思議な示唆を与えてくれました。

不思議といえば、私が丹生都比売神社の元記事を書いた(というよりそこに参拝した)1月18日は、なんと千代紙さんのお誕生日なんだそうですよ。


次回はスサノオと河童と瓜について考察してみたいと思います。

(・◇・)/