人の好みとは、本当に面白いものだ。

どんなに、キレイな言葉を紡いだとしても、それが理屈だとしても、こればかりは、全てはその人の本能、のような気がする。


例えば。

私は、幼い頃、「モナ・リザ」の微笑みが、苦手だった。ずっと、見てはいられなかった。何となく、怖かったのだ。

「万能の天才」レオナルド・ダ・ヴィンチ。

世界で一番有名な絵画で、人々を魅了する、謎の微笑み。

大人になって、色々学びはしたが、それでも、ダメなものは、ダメだった。


そう考えると、実は、「好む好まない」という問題は、そう大したことではなくて、要は、それを態度で示すか、示さないか、ただ、それだけのこと、なのかもしれない。


つまりは、単純に。

きっと、それが、何というか、人に与えられた「道徳」というか、「最後の砦」というか、まあ、そういうことなのだろう。



うーむ。恥ずかしい位に、厨二病が炸裂した、なかなかの文章だが、これには理由がある。



昭和の私は、怒っていた。

プンスカプン、だった。

(少しでも、可愛らしさを表現したい、この微妙な文章が、既に気持ち悪いかもしれないが、私は書きたいのだ。書かせてくれ。頼むから、若者よ)


貴方にとって、推しが大事なように。

私も、推しが大事なのだ。

そして、BTSに限らず、色々な「推し活」をしている、全ての人にとっても、推しは大事な、宝物だ。



書きながら、ふと、有名なフレーズ「わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ」を思い出した。


「イェーイ」

「俺が昔 夕焼けだった頃 弟は小焼けだった」

「父さんは胸焼けで、母さんは霜焼けだった」

「わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ」


YouTubeで見た松鶴家千とせさんは、めちゃくちゃカッコよかった。


ウィキペディアを読んで、初めて、知った。


そうか。そうだったのか。

ビートたけしさんの師匠といえば、深見千三郎さんが有名だけれど、ツービートの師匠は、この方だったのか。


「師匠のように、ビートの効いた漫才をやりたい」

「じゃあ、ザ・ビートはどうだ」

「2人なので、ツービートで」


何だ、これは。もう、たまらない。カッコ良すぎる。

まるで、北野武監督の映画みたいだ。


今の私は、松鶴家千とせさんとビートたけしさん、つまり、師匠と弟子の関係を知りたくて、ワクワクしている。世の中は、知らないことばかりで、毎日が発見だ。



歳を重ねて、良いこともある。

それは、良い塩梅で、集中力が続かない、ということだ。


若い時は、私も、何かあれば、ずっと考えていた。

気持ちを切り替えるなんて、そんな器用なことは、出来なかった。眠りながらも、グルグルと、考え続けていた。



もちろん、推しは大好きだ。

でも、こうやって、私の日常は過ぎていく。


今日から、師走。

もうすぐ、イゲマジャ2が始まる。


すみません。私は、楽しみます。



ご覧いただき、ありがとうございました。


以上です。


↑すみません、追加です。

もし、お時間があるようでしたら、「ツービート②」もご覧いただけたら、と願います。