すみません。
ほとんど、私事です。そして、いつもの長文です。
もし宜しければ、お時間のある時に、どうぞ。
「人間は考える葦である」
何日か前のX。
某有名塾の先生から、生徒へと宛てられた、3枚にも渡る直筆の檄文の最後は、仏語で締め括られていた。
(先生へ敬意を表して、あえて、仏語と表記してみました)
いやはや、熱い。熱い先生だ。
筆圧もスゴい。文字にも勢いを感じる。
これぞ、情熱。パッションだ。
果たして。
これからの日本を背負って立つであろう、特別な、選ばれし子供達の心に、先生の情熱は、どのように、届いたのだろうか。
もちろん、Xのコメントは、賛否両論だった。
確かに。なかなかの内容だ。
皆さんのコメントを読みながら、私は、久しぶりに、恩師のことを思い出していた。
「まるで、漫画のようだねー」
しくじり先生のように、私の高校受験の失敗を話すと、思春期だった我が子は、そう言った。
でも、人生、何があるかは、分からない。
紆余曲折の末、何とか滑り込んだ母校で、私は、恩師と夫に出会った。
正しく言えば、私よりは、夫の恩師、かもしれない。
前にも、書いたが、夫は苦労して育った。
高校へは奨学金で通い、既に、あの歳で、ほぼ自活していた。
彼の生活は、バイト代とパチンコで勝ったお金で、支えられていた。
さり気なく、パチンコと書いたが、高校生でやってはいけないことだとは、もちろん、彼も私も、分かっている。
ただ、当時の彼には、それが、生きる術だったのだ。
これは、余談だが、卒業後、彼は、生きる術だったパチンコで初めて大金を失い、それから、一切やらなくなった。
そのお金は、彼が、海外へ行こうと、ずっと必死に貯めていたもの、だった。
まあ、とにかく。
という事情で、彼は忙しかった。
だから、高校へは、単位のギリギリを計算して、必要最低限しか来なかった。
皆さんには、信じられないかもしれないけれど、彼からすれば、登校するだけでも、交通費がかかる、という理屈だった。
その交通費を倹約した結果、彼は、停学となった。
校則で禁止されているバイクを、学校近くに停めて、さて、まずは一服と、煙草をポケットから出そうとした瞬間、彼は、生徒指導の先生から声をかけられた。
もし、煙草をポケットから出していたら。
退学だった。
「お前の気持ちは、分かる。だから、自分の前では、煙草を吸っても良い」
「先生、良いの?じゃあ、遠慮なく」
「お前、本当に煙草を出すなよ。頼むから、吸わないでくれ」
彼の家を訪れた担任の先生は、そう言うと、彼のために、泣いてくれた、そうだ。
高3の冬。その時点では、まだ彼の卒業は決まっていなかった。
担任の先生のご尽力のおかげで、教科の先生方からの補習やレポートの提出、という形を取ることで、何とか不足分を補うことになったのだ。
もちろん、彼も頑張った。
補習に通い、レポートもきちんと提出した。
「よく、あの時、卒業出来たよねー」
「だよなー。先生のおかげだよな」
彼の卒業は、ある意味、奇跡だった、と思う。
私達が卒業してから、数年後、先生は亡くなった。
お通夜にもお葬式にも、間に合わなかった。
彼が、中古で買った小さい車に乗って、私達と友人の3人は、遠く離れた先生のご実家へと向かった。
地図を片手に、大まかな住所だけを頼りにして。
迷ったら、車を停めて、歩いている人に聞きながら。
そうやって、私達は、先生のご実家へと辿り着いた。
突然、訪れた私達を、先生のお祖母様が迎えてくれた。
「良い子なんだよ。何で、こんなことになったんだろうね」
先生は、遺影の中で、笑っていた。
昨夜のウィバースLiveは、悲しいものだった。
でも。
誰が何と言おうと。
ナムジュンさんは、立派なリーダーだ。
未来ある、7人の若者達の幸せを、私は願う。
ご覧いただき、ありがとうございました。
以上です。