前回の明治維新を起点として放物線が2つ現れる図を描きたくなたのは東谷暁さんの『預言者 梅棹忠夫』を読んでいて、この本に梅棹忠夫さんが書いた日本の文明史曲線というのが描かれていたからです。

 

しかし、この図に対して私は納得が出来なかった。逆にこの伝記に書いてある梅棹さんの発言から私が書いた図の方に確信が持てました。

 

梅棹忠夫さんの「文明史曲線」

現在の日本の衰退の最大の原因は財務省主導の「緊縮財政」にあると私は考えています。

 

その政策のおかげで、日本はなかなかデフレの状態から脱却することができずにいて、その結果日本の経済はここ20年ほとんど成長できていません。

 

世界に占める日本のGDPの割合も一時期は15%ぐらいはあったのに、今では5%というしょぼい割合になってしまいました。

 

そこでこの暴走する財務省の「緊縮財政」を抑止するため、またデフレからの脱却を目標にアベノミクスを掲げ再度の首相に上り詰めた安倍氏ですが、結局は消費税を2度も上げるという当初予定していなかったことを平然と行い、またしても日本経済をデフレから脱却させるという希望を台無しにしてしまいました。

 

このような国民への裏切りと言える行為に対して日本の国民は安倍政権に対して厳しい批判を与えると思いきや支持率が40%を下回ることはほとんどなく、病気が再発しなければもっと長く政権を維持できたかもしれないのです。

 

財務省の緊縮財政を政治の力で変えさせることができず、そのことに対して多数の日本国民が不満に思っていないということをどう理解すれば良いのだろう?

 

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まずは財務省の問題から。

 

財務省はなぜ全く機能していない「緊縮財政」にこれほど拘るのでしょうか?

 

実は財務省は省内から緊縮財政に否定的な幹部を追放しています。

 

だから外部から民間の立場で財務省の政策を批判する財務省OBの高橋洋一氏や安倍総理のブレーンだった本田悦朗氏などはいますが、省内からは緊縮財政に対する批判は全く聞こえてこないのです。

 

このような異論を認めない財務省のあり方を「一枚岩」と評価する人もいます。

 

しかし、緊縮財政で「一枚岩」になってしまった財務省は、その政策が間違っていた場合に容易に修正ができません。

 

なぜなら緊縮政策の間違いを認めることは緊縮財政で一致していた財務省そのものの責任を認めることになってしまうからです。

 

ある官僚組織で緊縮財政を是とする多数派のグループがあると仮定します。当然組織内には緊縮財政に反対するグループも少数ですが存在しますが、少数のために発言権はあまりありません。

 

これが通常の組織のあり方です。

 

ところが、時間が経過して緊縮財政がうまく機能しないとわかってくると、今まで少数派の緊縮財政に反対するグループの勢力の方が優勢になってきて政策が修正される可能性が高まります。

 

ところが財務省のように緊縮財政に反対する人たちを追放したりすると政策を修正させる機会を失ってしまうのです。

 

特に財務省OBの高橋洋一氏などが財務省のことをZなどと揶揄したりすると意固地になってますます間違いを認めることができなくなり、誤った政策で突っ走ることになるのです。

 

私はこのような省内から少数の反対派を追放し、そのことで政策を修正できなくて国家を破綻に導いた組織を知っています。

 

それは帝国陸軍です。

 

昭和12年に日中戦争が始まった当初、軍部には東條英機を代表とする多数の対中強硬派が存在していました。

 

しかしながら一方で石原莞爾などの対中融和派も存在していたのです。

 

ところが石原らはいつの間にか予備役に回されてしまい、軍の幹部は対中強硬派ばかりが占めるようになってしまったのです。

 

それでも中国との戦争が短期で終わればよかったのですが、補給が続かず泥沼になってしまいます。

 

対中強硬派の東條が何よりも嫌がったのが「支那からの撤兵」でした。

 

これを行うと対中強硬政策で一枚岩だった帝国陸軍の責任を問われかねないからです。

 

東條は最後まで「支那からの撤兵」を拒否し続け、日中戦争を抱えたままアメリカとの戦争を開始するという無謀な賭けに出てしまうのでした。

 

「緊縮財政」を修正できない財務省も日本国家を破綻させるという意味で帝国陸軍と全く同じことをしているのです。

 

帝国陸軍と財務省は間違いを認められないという点でほとんど一緒なのでした。

 

私が現在を「戦前と同じ」じゃないかと思う第一の理由です。