前回エジプトのナセル大統領がスエズ運河の国有化を宣言しそれに対して英仏がイスラエルを誘って出兵したことを書きました。

 

ここまでは割と満州事変に似ていると私は思っているのですが、ここからの展開は全く違うものとなります

 

英、仏、イスラエルがシナイ半島に上陸すると、核開発に成功したソビエトがエジプトの守護神の役割を持って登場してきたのです。

 

ソ連のブルガーニンがイギリスのイーデン首相に宛てた書簡では次のように書かれていました。

 

「もしイギリスがより強力な国々、すなわち現代的な破壊兵器の全種類をもつ国々から攻撃を受けるならば、イギリスはどのような状況になるだろうか。そしてそのような国々は、現時点では海軍や空軍をイギリスの海岸に派遣したり、また他の手段、例えばロケット兵器を使用するのを差し控えることが可能なのである」

 

キッシンジャーによればフランスにも似たような書簡が送られたことが記されています。

 

このように英仏がソビエトからあからさまな核による脅迫を受けた場合、英仏の同盟国であり核保有国であるアメリカの態度が決定的になるわけですが、アメリカのアイゼンハワー大統領は英仏の出兵に怒り心頭でした。

 

日本が満州事変を起こしたとき、アメリカのスチムソン国務長官がとった政策は「不承認」政策でしたが、アイゼンハワーが語った言葉もほとんど同じようなものだったのです。

 

「この2国がそのような決定と行動を行うという明らかな権利を持っているのでれば、我々にもそれに反対する権利がある。」

 

このように英仏は、シナイ半島へ出兵したことでソビエトから核による脅かしを受け、アメリカから梯子を外されることとなり、兵を引かざるをえなくなったのでした。

 

トッドが指摘した、「核の傘は存在しない」ことや「核は自国の防衛にしか使うことができない」のはフランスがスエズ危機の時に体験したことからきているのです。

 

そして日本は未だにこのような体験をしていないため、核武装する動機が発生していないのでした。

前回述べた通りフランスは1956年に起きたスエズ危機の結果、核武装を決断します。

 

私が最初にスエズ危機のことを知ったのはアメリカの元国務長官ヘンリー・キッシンジャーの『外交』を読んだ時でした。

 

その時に抱いた感想は、この事件は日本が起こした満州事変にそっくりじゃないかというものでした。

 

第2次大戦後、中東地域においてアラブ・ナショナリズムが高まり、エジプトにおいてカリスマ性を持ったナセルというリーダーが出現します。

 

この地域は以前はオスマン・トルコが支配していたのですが、第一次世界大戦でその帝国が崩壊し、戦勝国であるイギリスとフランスがその地域の帝国主義的な利権を分け合う形で持っていました。

 

その最たるものが、スエズ運河で一応エジプトが保有しているものの実際の運営は英仏が保有する株式会社がおこなっていたのです。

 

これを戦前の中国情勢と比較してみます。

 

1920年代に中国において中国国民のナショナリズムが高まり、それを背景にカリスマのある国民党の蒋介石が登場し、日本や欧米の持っている帝国主義的な利権を回収しようと「革命外交」を起こし、満州において満洲鉄道という戦略的な利権を持っている日本がどのように対応するのか、という局面と極めて似ているのでした。

 

この時に、英仏が行ったのは、どうにかアラブ・ナショナリズムを鎮めようと、アスワン・ダムの建設のために巨額の融資を行おうというものでした。

 

これは、中国のナショナリズムにできるだけ寄り添おうとした幣原外交を彷彿させるものだったのですが、どちらも相手のナショナリズムを高揚させる結果に終わったのでした。

 

そして、いよいよエジプトのナセル大統領はスエズ運河の国有化を宣言するのです。

 

この時に至って、英仏が帝国主義の時代は終わったのだからと何もしなかったら、戦前に満州事変を起こした日本はしっかりとさらなる反省をしなければならなかったでしょう。

 

ところが、英仏はなんとイスラエルを誘って、シナイ半島を制圧しようと出兵してしまったのです。

 

満州事変から25年経った後の出来事でした。

エマニュエル・トッドの最新刊である『老人支配国家 日本の危機』を読みました。

 

この本の中でトッドは日本に対して核武装を勧めています。

 

これまで彼は何度も日本の核武装について発言していますが、日本側の質問者はいつも聞き流すだけで真剣に対応してこなかったのでは、と私は思っています。

 

そこで今回はトッドの主張に少し耳を傾けてみたいと思います。

 

トッドの議論を簡単にまとめると、「使用する場合のリスクが極大である核兵器は、原理的には自国防衛以外には使うことができない」ゆえに「『米国の核の傘』はフィクションに過ぎず、実は存在しないのです」というものです。

 

このような考え方は、トッドが独自に思い付いたのではなく、どうもフランスの核戦略の中心にある思想みたいです。

 

というのもつい最近、ハンス・モーゲンソーというドイツからアメリカに亡命したシカゴ大学教授の『国際政治』を読み返していたら、「核保有国Aと非核保有国Bとの間の同盟について特に適切なものとなる。Aは、Bとの同盟を尊重してまで、Cによる核破壊という危険にみずからさらすであろうか。」という文章が書かれていました。

 

この文章に適切な言葉を当てはめると「核保有国アメリカは非核保有国日本との同盟を尊重してまで中国(ロシア、北朝鮮etc)による核破壊という危険に自ら晒すであろうか」となりトッドの言葉と重なるのです。

 

そして、この問題を提起したのはフランスのド・ゴール大統領だったとモーゲンソーは書いています。

 

私もド・ゴール大統領やトッドが言うように「核の傘」というものはほとんど幻想だと思っていますが、だからといってそれが日本の核武装に直接結びつくことに対しては疑問を持っています。

 

では、なぜフランスが核武装をするようになったのかを見ていきたいと思います。フランスが核武装に踏み切ったのは1956年に起きたスエズ危機の強烈な体験があったからなのです。

 

続く