慶應大学の田中教授は今回のイランの大統領選挙で穏健派のペゼシュキアン氏が選ばれたことについて選挙結果が操作されたのではないかと疑っています。

 

私はそこまで断言することはできませんが、なぜペゼシュキアン氏のような人物が大統領候補になれたのだろうという疑問を持っていました。

 

アメリカの政治学者であるフランシス・フクヤマは『政治秩序の起源』という本の中でイランの憲法について少し書いている部分があるので、それを引用しながら今回のイランの大統領選挙について考えてみたいと思います。

 

「イランの1979年憲法は最高指導者に裁判権だけでなく実質的な行政の権限も付与している。彼は革命防衛隊や準軍事組織のバシジ隊を指揮することができる。;選挙で選ばれるように運動をしている候補者に対して、積極的に介入して候補をおろすこともでき、明らかに自分に有利なように選挙を操作している」

 

フクヤマはイランにおいて選挙が操作される可能性を指摘している点はさすがですが、普通のアメリカ人がイランに対して考えていることは民主化や国際協調を求める国民の願いに反して悪辣な指導部が強硬派を無理やりに当選させるというイメージですが、今回の選挙は田中教授曰くイランの上層部が積極的に穏健派のペゼシュキアンを応援したようなのです。

 

なぜイランの宗教指導者であるハネメイはそのようなことをしたのでしょうか。

 

フクヤマは後段でその理由を示唆しています。

 

「ビスマルクの憲法やそれを真似た日本の明治憲法のようにイランの憲法はある一定の行政の権限を皇帝ではなく聖職者の階層にあたえている。しかし日本やドイツのようにこの行政の権限が腐敗して憲法に規定されている聖職者が軍を指揮するのではなく軍による聖職者の支配を増大させている。」

 

やはりハネメイ氏は軍に対する統率力を弱めている可能性があるのです。だから現在イスラエルが戦争している状態でイランが革命防衛隊の強硬一辺倒でいってしまうとイスラエル(及びアメリカ)と戦争になる可能性があるので、今回の大統領選挙では穏健派を通すことにしたのでしょう。

 

果たしてアメリカとイスラエルが穏健派のペゼシュキアン大統領にどのように応えるのかは現時点では全くわかりません。

 

ただ最近の出来事を振り返れば、イランの穏健派に鉄槌を加え強硬派を勢いづかせたのはアメリカの方でした。

 

イランがきっちりと守っていたオバマ大統領時代にできた核合意(JCPOA)を一方的に破棄して更なる経済制裁を加えたのがトランプ大統領でした。その結果で大統領選挙に強硬派のライシ氏が当選したのです。

 

もう一つ例を挙げれば、2001年にアメリカが同時多発テロをビン・ラディンが率いるアルカイダから受けた時に、イランのハタミ大統領はアメリカに協力して隣国であるアフガニスタンの情報を詳しく流してあげたりして、かなりの協力が進んだそうです。

 

ところがブッシュ(息子)大統領が突然、北朝鮮、イラク、イランを悪の枢軸とかと言い出してこの協力関係を台無しにしてイランの反米派を盛り上げることをやってしまいました。

 

だから今回イランが穏健派を大統領に選んでもアメリカがそれに応える保証は全くないのです。

 

追記

 

『ニューヨーク・タイムズ』の記事によれば、ハネメイ氏の宗教行事に参加したイランのペゼシュキアン新大統領はハネメイ氏と一緒に大広間を歩いたそうで、このようなことは過去30年間なかったそうです。

 

さらに穏健派のペゼシュキアン氏はイランのガーディアン・カウンシルによって国会議員と大統領の候補になることを禁止されていた人物だったのですが、昨年の冬にハネメイ氏が介入してその禁止を解いたことも書かれています。

 

やはり何らかの理由から最高指導者は穏健派に肩入れしたことは間違いなさそうです。

 

https://www.nytimes.com/2024/07/16/world/middleeast/ira-new-president-profile.html

イランの大統領選挙で穏健派のペゼシュキアン氏が当選したことについて慶應大学の田中教授は選挙が操作されていたのではないかと疑っています。

 

「率直に申し上げますと、私は今回、イランの指導層が『改革派に勝たせてもいいか』と半ば諦めの境地にあったのではないかと見ています。これは大統領選挙の候補者が、誰ひとりとして最高指導者の後継候補とはなり得ない人物であることから、選挙結果にあまり神経質になっていなかったこととも関連しています。」

 

田中教授は今回の選挙結果が高齢のハネメイ氏の後継者問題に関わりがないので穏健派を大統領にしたのではないかと推察しています。

 

私もそのことについて否定はしませんが、そのことよりもハネメイ氏が気にしていることはガザで起きているイスラエルの戦争がレバノンなどに拡大して、それにイランが巻き込まれることではないのかと考えています。

 

国家元首であり宗教の最高指導者であるハネメイ氏の最大の目標はイランにおけるイスラム体制の維持であり、その目標を完全に破綻させる可能性があるのはイランがイスラエル及びアメリカと戦争にいたってしまうことだからです。

 

田中教授もイランの国家体制が特殊なものであることは認識されているようです。

 

「もっとも、イランの最高指導者はハメネイ師で、大統領はあくまで行政の長であり軍の統帥権はありません。外交政策も、ハメネイ師が拒否権を持っています。国内の経済問題が外交問題と強い連関がある以上、大統領にできることは限られてきます。」

 

ここに書いてあることは全て正しいのですが、私が一番心配なのは最高指導者のハネメイ氏がしっかりと革命防衛隊を統制できているのかです。それができていればイスラム体制を守りたいハネメイ氏が冒険主義的なことをするのは考えられないのだが、それがわからないから不安になるのです。

 

最近イランで長く生活されている若宮総さんの『イランの地下世界』という本を読んだのですが、その本に興味深いことが書かれていました。

 

アメリカのトランプ氏が大統領の時にイランの革命防衛隊のコッズ部隊の長であるスレイマニ司令官を爆殺しました。このことについてイランではハネメイ氏がアメリカに頼んでやらせたのだろうといううわさが広がっているそうです。

 

生前のソレイマニは国外の軍事作戦や国内の反体制の弾圧などに手腕を発揮して将来のイスラム体制を守る有望株と思われていることにハネメイ氏が嫉妬してトランプに頼んで爆殺させたのではないかと若宮さんは書かれています。

 

典型的な陰謀論なわけですが、一部真実が含まれていると思われるのはハネメイ氏がしっかりと革命防衛隊を統率できていたらこんな噂は流れていなかったに違いないのです。

 

いずれにせよハネメイ氏はこれから穏健派の大統領と強硬派の革命防衛隊を天秤にかけて厳しい国内、国際政局を乗り越えなくてはならないのですが、それが成功することを日本人の一人として心から願っています。

 

なぜなら次の田中教授の指摘するようなことになって欲しくないからです。

 

 「日本が輸入している原油の95%超は、今でもペルシャ湾内で生産され、そのほとんどがホルムズ海峡を経由しています。ペルシャ湾に一番長く面していて、ホルムズ海峡に睨みをきかしているのがイランです。仮に、アメリカのネオコンが安直な戦後計画を以てイラクに対して画策したのと同じように、イランに対して政権転覆を企てれば、この沿岸地帯で何が起こるのか、誰も保証できなくなります。」

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/98f00b9386c28fcdfb130c6f00875da7754864c0?page=1

 

 

 

 

 

先日イランで前大統領のライシ氏がヘリコプターの墜落事故で亡くなったために急遽大統領選挙が行われ、決選投票の結果穏健派の元保健省であり元心臓外科医のペゼシュキアン氏が選ばれました。

 

大統領選挙での決選投票はそれまでの選挙と比べて投票率が10%も伸び、そのことがペゼシュキアン氏の当選に結びついたようです。

 

この選挙の結果でイラン国民が戦争では無く、国際協調の意向を持っていることが確認できたわけですが、果たしてその希望は叶うのでしょうか。

 

以前から述べているように現在のイランの国家体制は明治憲法や明治憲法が手本にしたドイツのビスマルク憲法に酷似しており、選挙で選ばれた大統領に軍隊(革命防衛隊)の指揮権が存在しないのです。

 

つまり新たに選挙で選ばれたペゼシュキアン大統領においては、大統領に就任してからも冒険主義的な革命防衛隊がシリアやイラク、レバノンにおいて何をやっているかはさっぱりわからないという危険な事実は変わらないのです。

 

革命防衛隊を指揮することができるのは国家元首であるハネメイ氏だけなのですが、どうも今回のイランの大統領選挙においてはハネメイ氏も革命防衛隊について不信を持っているのではないかと私は想像しています。

 

イランの大統領は選挙で選ばれますが、誰でも自由に立候補できるわけではなく、ガーディアン・カウンシルという機関で大統領候補は選別されます。

 

このガーディアン・カウンシルは宗教指導者であるハネメイ氏が選ぶ6人の宗教家と最高裁判所長官が選ぶ6人の法律家(最高裁判所長官はハネメイ氏が任命するものの選挙で選ばれる議員からなる国会での承認が必要)から構成されるものでハネメイ氏の完全な独裁とは言えないが、彼の意向が十分に反映される仕組みになっています。

 

ではなぜハネメイ氏は穏健派のペゼシュキアン氏の立候補を容認したのでしょうか。

 

前回の大統領選挙はアメリカのトランプ大統領が一方的にイランとの核合意を破棄して再び厳しい経済制裁をかけた後で行われた大統領選挙でした。

 

当然イラン国内において国際協調派は大打撃を受けて、ガーディアン・カウンシルでは国際協調派は事前審査でことごとくはねられて、前大統領のロウハニ氏さえも議員になる資格を失ったのでした。慶應大学の田中教授もイランでは国際協調派が全滅したとテレビで嘆いておられました。そこで当選したのが事故で亡くなった強硬派のライシ氏だったのです。

 

国家元首のハネメイ氏が強硬路線でいくなら大統領候補に穏健派を加える必要は無いのですが、今回の選挙で穏健派の候補者を認めたのは、おそらくは強行路線一本やりで行けばイスラエルやアメリカと戦争になることを危惧したからに違いありません。

 

ライシ氏が選ばれた前回の大統領選挙と今回の大統領選挙の大きな違いは、現在においてイスラエルがガザで戦争を拡大させ、それがレバノンに移っていく可能性が大きくなっており、いつイランが巻き込まれてもおかしくない状況になっているのです。

 

その危険性を重要視していたハネメイ氏は穏健派をそっと大統領候補に容認してみたら、それにうまくイラン国民が応えて見事に大統領に当選させたのですが、果たして本当にそれがうまくいくのかは全くわかりません。