三河もん物語 会津と松平 | 一陽来復

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散歩、ごはん、プラモが至福のひととき

みなさん こんばんわ

ドーベルマンの猛追を見事にかわした

音速の貴公子

ション ベンソンです。

 

今日も三河もん物語 いってみよ~

 

わたくしのご先祖様は

母方が三河

しかも松平郷なのでございます。

何を生業にしていたのかは

聞かされていないのですが

きっと松平家に大変お世話に

なっていたことでしょう

 

父方は会津 喜多方。

 

どちらを向いても

松平家のお膝元。

 

もう30年も前になりますが

結婚式の時、喜多方の叔父が

スピーチをしてくれて

 

三河と会津の血が流れているから

相当な頑固者だ

などと私を評しておりました。

 

三河兵、会津兵といえば

戦国、幕末で

地味ながらも強兵として鳴らして

いたというのに

 

ドーベルマンに追っかけられて

ちびってしまう体たらく。

 

それはさておき

三河周辺にはたくさんの史跡が

ありますから、

その影響かわかりませんが

歴史好きにはなったわけです。

 

すでに小学6年の時点で

歴史の授業がかなり好きでした。

 

しかしその大好きな歴史の授業で

とんでもないことをやらかしちまったのです

 

この話はまた別の機会にして

 

 

喜多方もちょいと書いておきましょう

 

1970年、80年代前半あたり

ラーメンをたべようと思ったら

専門店はまだなくって

今でいう町中華が主流でしたよね。

 

美味しいラーメンに巡り合うと

かなりうれしかった時代

 

そんな時代に

父方の田舎にいって食べたラーメンは

わたしのおこちゃま舌でも

そのうまさがわかるほど。

 

それが まこと食堂。

ラーメン&かつ丼で食べてました。

(豚肉が苦手でしたが

ここのだけは食べられたのです)

 

当時、喜多方は観光地とは程遠い町で

親父は、なんにもないところだ

と言っておりました

 

ところがNHKが蔵の町として喜多方に

スポットを当てたのをきっかけに

観光地化がすすみ

ラーメンも同時に脚光を浴びたようです。

 

子ども心に誇らしい気分でした。

おれはずっと前から

喜多方ラーメンの旨さを知っていたぞ~と

 

40年前の味 いまもキープされているのかな~

だとしたらさぞや大変なことですよね

 

つけ麺のお気に入り

新宿西口 満来