服部良一 | 墓守たちが夢のあと

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 戦前戦後を通じ大活躍した作曲家の服部良一は、明治40年(1907)に大阪で生まれ、大阪市立実践商業に通いながら少年音楽隊に入隊。
 卒業後に大阪フィルハーモニック・オーケストラに入団し、ここでロシア人指揮者のエマヌエル・メッテルの指導を受けます。
 昭和8年(1933)に上京すし、3年後にコロムビアレコードに専属作曲家として入社すると、 昭和12年(1937)には淡谷のり子が歌った『別れのブルース』が大ヒット。その後も『湖畔の宿』 (高峰三枝子・1940) ,『蘇州夜曲』 (霧島昇,渡辺はま子・1940) などヒット曲を連発していきます。
 戦後は笠置シヅ子が歌う『東京ブギウギ』『買物ブギ』などいわゆるブギものを大ヒットさせる一方、『青い山脈』 (藤山一郎)『銀座カンカン娘』などたて続けにヒット曲を生み出し,日本ポップス音楽界の草分けとしての地位を確立していきます。
  昭和33年(1958)古賀政男らとともに日本作曲家協会を設立した服部は理事長として、翌年の「日本レコード大賞」設立に尽力。昭和53年(1978)に古賀が亡くなった後は会長を引き継ぎ業界の発展に尽力していきます。
 生涯を通じ3000曲以上の作品を残した服部は、平成5年(1993)に85歳で亡くなり、その翌月に作曲家としては古賀政男に続く史上2人目の国民栄誉賞が贈られています。


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