女優・社会事業家 山路ふみ子 | 墓守たちが夢のあと

墓守たちが夢のあと

歴史に名を残した人物の墓所データベースです。

山路ふみ子の墓

 

碑の表(足跡)

 

碑の裏

 

墓石

 

 女優で実業家・社会事業家の山路ふみ子(本名:大久保ふみ子)は、明治45年(1912)兵庫県神戸市で生まれ、昭和5年(1930)森高等女学校(現・神戸学院大学附属高等学校)在学中に神戸新聞社主催のミス神戸に選出されます。
 大阪松竹楽劇部を経て、帝国キネマ演芸株式会社に入社し、映画『時代の反抗児』でデビュー。
 芸名の「山路ふみ子」は、菊池寛から贈られたもので、小説「結婚二重奏」のヒロインの名だそうです。
 その後、一時日活へ移籍した後、帝国キネマを改組して設立された新興キネマに復帰。主演女優として多くの作品に出演する一方、 数本の映画では主題歌もレコーディング。また日産自動車、ウテナ化粧品等の広告モデルを務めるなど人気女優として活躍していきます。
 戦後の昭和24年(1949)に女優を引退し、母と共同で東京都港区芝公園で料亭「山路」を経営しますが、昭和39年(1964)母の目の病気のため廃業。
 母の病気は当時の日本の医療器具では完治させることが出来なかったことから、山路は日本の科学の発展のため、土地・建物の私財を売却し一億円を捻出。「山路ふみ子自然科学振興財団」を設立して助成活動を開始します。
 その他、昭和51年(1976)に日本映画の振興のため「山路ふみ子文化財団」を設立し、映画人の育成、功績を称えるため、毎年「山路ふみ子映画賞」を授与。
 また、平成元年(1989)に災害遺児の救済のために「山路ふみ子奨学基金」を設立。翌年にはネパールの女性のために職能施設を創設。その次の年には「公益信託山路ふみ子専門看護教育助成基金」を設立するなど、私財を投じて公益事業の助成に尽力していきます。
 その功に対して、昭和38年(1963)に東京都善行銅賞受賞、中央公論賞(第2回)。昭和47年(1972)に藍綬褒章。平成5年(1993)にはネパール国ゴルカ・ダクシン・バフ(外国人最高位勲章)などが贈られ讃えられた山路は、平成16年 (2004)に92歳で亡くなっています。


青山霊園 1種ロ20-7