女流俳人 度会園女(斯波園女) | 墓守たちが夢のあと

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雄松院

 

度会園女の墓

 

 こちらも、数年前に撮影したものですが、江東区白河の雄松院に松尾芭蕉門下の女流俳人・度会園女(わたらいそのめ)の墓があります。
 伊勢山田の神官の家に生まれ園女は、眼科医の斯波(しば)一有に嫁ぎ、大坂にて夫妻で医業を営んでいます。
 大阪へ移住する以前の、元禄3年(1690)より松尾芭蕉の晩年の門人となっていた園女は、やがて本格的な活動を開始し大阪の女流俳人として名を知られていきます。
 元禄7年(1694)には大坂を訪れていた芭蕉を自宅に招き句会を開催。しかし既に病に侵されていた芭蕉は体調を崩し、そのまま大阪で客死しているため、園女邸で開かれた句会が芭蕉最後の句会となっています。
 師を失い、さらに元禄16年(1703)には夫と死別した園女は、芭蕉の高弟であった宝井其角を頼って江戸に移り、富岡八幡宮の前で眼科医を開業。江戸俳壇の俳人とも交流していきます。園女は富岡八幡宮に36本の桜を寄進していますが、「歌仙桜」と呼ばれる桜の名所となり、江戸の人々に親しまれていたそうです。
 享保3年(1718)に剃髪し、智鏡尼と号した園女は、享保11年(1727)に63歳で死去、雄松院に葬られています。

 雄松院 江東区白河1-1-8