会津松平家13代目当主 松平保定 | 墓守たちが夢のあと

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稲葉家・会津松平家共同墓

 

墓標

 

墓標に刻まれた松平保定の名

 

 青山霊園にある淀藩稲葉家の墓所は、稲葉家が19代目当主・稲葉正輝を最後に断絶し、現在は会津松平家との共同墓となっているそうで、墓標には会津松平家13代目当主・松平保定(もりさだ)の名も刻まれていました。
 松平保定は、京都守護職などを歴任した会津藩9代藩主・松平容保の孫で、昭和19年(1944)に父の子爵・松平保男が亡くなると18歳で家督を相続しています。
 大学卒業後、農林中央金庫に29年間勤務した保定は、一方で昭和20年(1945)に財団法人会津保松会(会津松平家奉賛会)が設立された際には名誉顧問に就任し、会津藩主松平家墓所や御薬園の維持・管理を行っています。
 定年退職後、保定は松平春嶽の孫である松平永芳が靖国神社宮司を退任するため、その後任として宮司就任を打診されています。
 保定は当初、この要請を受けるつもりでいたそうですが、旧会津家臣たちの意見も聞き、「賊軍として会津の戦死者が一人も祀られていないのに宮司就任を受けるわけにはいかない。」と断っています。
 松平永芳は靖国神社へA級戦犯を合祀した人物であるため、その後任に会津松平家当主が就任していたら更に物議を醸していたかもしれません。
 昭和64年(平成元年・1989)昭和天皇崩御の際に大葬祭官を務めた保定は、平成23年(2011)に84歳で亡くなっています。


青山霊園1種イ13-28