坂本龍馬の初恋の人 西山加尾 | 墓守たちが夢のあと

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西山家(平井家)の墓

 

墓誌

 

 明治期に衆議院議員として活躍した政治家、西山志澄の妻である西山加尾は、坂本龍馬の初恋の人であったと言われています。
 加尾は天保9年(1838)土佐藩上士平井直澄の娘として土佐国土佐郡井口村で生まれていますが、兄の平井収二郎と龍馬は同い年で、龍馬の姉・乙女と加尾は一絃琴の稽古仲間であったことから両家は家族ぐるみの付き合いをしていたと言われます。
 そして加尾は和歌をたしなむ才色兼備で、「強きをくじき弱きを助け、信義を重んじる」正義感の強い女性だったと伝えられています。
 加尾は安政9年(1859)前土佐藩主山内容堂の妹・友姫が三条公睦に嫁ぐ際に友姫の御付役として上洛し、四年間三条家に仕えます。
 兄の収二郎は、上士としては珍しく土佐勤王党に参加し尊王攘夷運動に奔走ていて、加尾は彼らを支援したり、京都の情勢を兄に報告していたとも言われています。
 当時、龍馬が加尾に送った手紙が残されていますが、龍馬は加尾に男装用の身支度を調達するよう依頼しています。これは二人が駆け落ちする準備であったとか、危険な任務を行う加尾を気遣ったためとか諸説ありますが真相は分かっていません。
 翌年には龍馬は脱藩し、収二郎は加尾に「竜馬が訪ねてきても話に乗るな」と指示していて二人が再開することはありませんでした。
 しかし、文久3年(1863)に収二郎が山内容堂による土佐勤王党弾圧で切腹した際、龍馬は姉の乙女へ加尾を気遣う手紙を送っています。
 土佐へ帰った加尾は、慶応2年(1866)に元土佐勤王党の西山志澄を婿に迎えて平井家を継がせています。明治11年(1878)には夫婦で西山姓となりますが、後に娘が平井家を再興。加尾は明治42年(1909)に72歳で亡くなっています。


墓所:東京都港区南青山 青山霊園 1種ロ14号9側