織田信長の菩提寺 総見院 | 墓守たちが夢のあと

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総見院

 

信長公廟所の標柱

 

 京都の臨済宗大徳寺派の大本山である大徳寺には、現在もたくさんの塔頭がありますが、一部を除いて大部分が一般参詣を認めていません。
 その中の一つ「総見院」は豊臣秀吉により織田信長の菩提寺として建立されたことで知られています。
 本能寺の変から100日後の10月10日、秀吉は大徳寺において盛大な信長の葬儀を執り行います。喪主は信長の遺児で、秀吉の養子であった秀勝が務め、香木で彫らせた信長の木像を棺に入れ荼毘に付しています。
 この時、香木の甘い香りが京中に漂っていったと伝えられ、秀吉こそ信長の後継者だという印象を世間に広めたと言われています。
 香木の信長像は二体造られていて、残りの一体は、一周忌に間に合うように建立された総見院に現在も安置されています。
 総見院は、開祖は大徳寺117世の古渓宗陳。創建当時は広大な境内に豪壮な堂塔が立ち並んでいたと言われますが、明治期の廃仏毀釈により堂塔伽藍や多くの宝物が灰燼と化したそうで、大正年間にようやく再興されています。
 境内には信長とその一族の墓石がありますが、普段は非公開で、春秋に期間限定で特別公開されているそうです。


京都府京都市北区紫野大徳寺町59