泉鏡花 | 墓守たちが夢のあと

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 明治後期から昭和初期にかけて活躍した小説家・泉鏡花(本名:鏡太郎)は、明治6年(1873)石川県金沢市で生まれます。父は加賀藩細工方の流れを汲む彫金,象眼細工師。加賀藩太鼓師の娘である母は、明治15年(1882)に29歳の若さで亡くなっています。鏡花文学は、母の死に強い衝撃を受けた経験が色濃く反映されていると言われています。
 明治20年(1887)北陸英和学校を退学した鏡太郎は、尾崎紅葉の小説と出会い衝撃を受けたことから小説家を志して上京。明治24年(1891)に尾崎紅葉門下となり尾崎家で書生生活をはじめます。
 明治28年(1895)に発表した「夜行巡査」「外科室」の高評価で観念小説の新進作家として注目された鏡花は、「高野聖」など代表作を次々と生み出していきます。明治36年(1903)より神楽坂の芸妓桃太郎(本名伊藤すず)と同棲しますすが、紅葉に叱責され同棲を解消。この時の体験を基に「婦系図」を執筆しています。なお、鏡花とすずは、その後も密かに交際を続け、出会いから27年目の昭和2年(1927)に入籍しています。
 晩年も旺盛な創作活動が続き、生涯に渡り300編以上にのぼる作品を生み出した鏡花の作品は、当時主流だった自然主義とは異なり、幻想的でロマンチシズムな独自の世界観を形成し、後の作家に大きな影響を与えています。
 泉鏡花は、昭和14年(1939)に67歳で亡くなっています。


雑司ヶ谷霊園(東京都豊島区南池袋) 1種1号13側33番