子爵 保科正昭 | 墓守たちが夢のあと

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保科正昭夫妻の墓

 

保科正昭

 

 飯野藩主・保科正益の三男である保科正昭は、明治21年(1888)父の死去に伴い子爵を襲爵。
 学習院、東京帝国大学理科大学鉱物学科を卒業後、朝鮮総督府技師、農商務技師、地質調査所鉱物陳列館主任、京城工業専門学校講師などを務めています。
 大正14年(1925)貴族院子爵議員に選出されると研究会に所属し、内閣委員、大東亜省委員、外務省委員、軽金属製造事業委員会委員なども歴任。昭和22年(1947)に貴族院が廃止された数ヶ月後に亡くなっています。
 正昭の妻は、北白川宮能久親王第三王女で、女官として昭和天皇の皇后(香淳皇后)に仕えた保科武子です。


青山霊園1種ロ12-30