子爵 藤波言忠 | 墓守たちが夢のあと

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 子爵・藤波言忠は、嘉永6年(1853)公卿の広橋胤保の次男として生まれ、文久3年(1863)頃に藤波教忠の養子となります。天皇の学友として7歳のころより宮中に出仕。明治7年(1874)には宮内省9等出仕となり,天皇の講学に陪席しています。
 明治12年(1879)には侍従となり天皇の側近として活動していた言忠は、明治17年(1884)に子爵を授かっています。言忠は一方で馬に対して優れた鑑識眼があり、新冠牧馬場御用掛などを経て,明治18年(1885)に御厩制度等調査のためウィーンに派遣されます。
 滞欧中オーストリアでは、ローレンツ・フォン・シュタインに国家学を学び、帰国後に天皇,皇后に憲法学を進講。
 明治22年(1889)からは宮内省主馬頭を勤め、馬の改良や増産に力を入れています。一方で言忠は駿馬の生産を促すために上野不忍池競馬の開催にも関与。自らも馬主になるなど、現在の公営競馬発展の基礎を築いていきます。
 大正5年(1916)に主馬頭を退任した言忠はその後、専任宮中顧問官、貴族院勅選議員を歴任し大正15年(1926)に死去。享年74歳。


青山霊園 1-ロ12-23