藤波教忠 藤波家の墓所 公家の藤波家は、伊勢祭主及び神祇大副を世襲した大中臣氏の末裔で、家格は上級貴族である堂上家の中では下位に属する半家です。 藤波教忠の墓 幕末期の当主である藤波教忠は、朝廷の祭祀を司る神祇官の次官である神祇大副を務め、安政5年(1858)に幕府がアメリカ合衆国と締結した「日米修好通商条約」に反対し公卿が行った抗議活動「廷臣八十八卿列参事件」にも参加しています。 教忠は公卿の広橋胤保の次男・言忠を養子に迎え家督を譲り、明治24年(1891)に亡くなっています。 青山霊園 1-ロ12-23